天と地を繋ぐ高さに囀れり
厄塚に結界じやらり鬼祓
所謂、追儺の儀式に出てくる鬼の存在が初めて登場したのが平安期で8~9世紀前後で、それ以前の伝承には今、私達が節分で目にする鬼は登場しない。病草子や餓鬼草子に登場する物の怪は性格に言えば、鬼ではないが、これらも10~11世紀前後の時代になってくる。鬼退治と言えば、渡辺綱の鬼退治が有名である。これも平安中期の出来事が描かれているが酒呑童子説話が成立したのは、平安朝末期から中世初期に時代である。
この酒呑童子説話が、英国の西暦1000年前後の成立した伝承・文献の内容と酷似していることは、佛教大学の名誉教授の黒田彰先生が、関西大学の国文学(学会機関誌)発表したのが1984年頃であり、それ以降、酒呑童子説話とベオウルフの比較が論じられる様になった。
酒呑童子の鬼退治に活躍した名剣「鬼切丸」は、現在、川西市の多田神社に伝わっているのを始め、北野天満宮にも同銘の剣が伝えられ国宝としていされている。
ベーオウルフの怪物退治には、フルンディングという魔剣が登場する。この点も酒呑童子伝説と酷似している。怪物の母親からフルンディングを取り戻すところも類似している。
最近の発掘成果では、朝鮮半島の墳墓を発掘したら、なんとヴァイキング時代の剣が発見されたという。ヴァイキングは、アメリカ大陸を発見移住したが、更にアジアにまで進出したいた可能性もある。
たまたま、日本に漂着してもその異様な風貌は肉食の怪物をみられていつのまにか「鬼」と呼ばれる様になっていった。山中で暮らしており、御伽草子によると鋼鉄製の窓枠がある家に棲んでまるで西洋人の様な生活をしており、そこに退治にいくという話になっている。
今となれば、その鬼の正体を証明することは難しいが、元々は、「鬼」というのは、中国由来の伝承であり、「幽霊」、「悪霊」の事だったのが、中世期には、現代の「鬼」のイメージへと変化したいったのだそうです。
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