まつたりおうぶライフ

三流の暮らしについての無為自然の話題、俳句等のブログです。

おもひ川渡れば叉も花の雨

おもひ川渡れば叉も花の雨

なんだか、安物の演歌の様な感じがよいです。
今、句会でこの句を詠めば、そんな風に主宰先生に指摘されるでしょう。

もちろん、虚子の時代には、演歌も歌謡曲もこんなタイトルはなかったので、こちらの方が早いということでしょう。

おもひ川という川が実際に存在したのか。それは、別として、やはり、心象風景の中に出てくる川なんだろうと思う。

「渡れば又も」とあるところから、この川を何度も渡っているのでしょう。
そうして、その度に花の雨が降っている。もちろん、「花の雨」というのが季語ですが、「おもひ川」に見事に呼応しているのが良いですね。

そう考えると、おもひ川というのは、花の季節の度に渡る川なんでしょう。花見にいくとき、かならずおもひ川を渡る訳で、その時には、花がいつも散り始めている。

「おもひ川」を象徴的にたとえれば、それは、人生の春、青春のほろ苦い想い出であるということ、つまり、若き日の恋、そういったことを想い出してみれば、いつも「花の雨」、つまり失恋というイメージが浮かび上がってくる。

櫻の季節になる度にそういったイメージを作者は想い出すのでしょう。

佳い句だと思う。

いつ死ぬる金魚と知らず美しき

いつ死ぬる金魚と知らず美しき

この句が虚子の作品の中で、一番好きです。

生き物ってみんな、「いつ死ぬる・・・と知らず」という存在なんだけれど、
それが金魚になった場合、やはり、生きるということの美しさ、儚さを一際感じさせることになるのだと思う。
また、夏という季節というのは、涼を求める心の内に、生の空しさということを感じられずにはいられない。

通帳の残高眺めせりなずな

通帳の残高眺めせりなずな
呼子鳥鎮守の森に座します
白ズボン末野越えて黒となり
春光の坂下りたる人眩し
すずしろの花咲きたるや花之坊
ライター情報

関西大学文学部国語国文学科卒、佛教大学大学院修士課程国文学専攻修了(通信課程)
国学及び近世文学及び書誌学を肥田皓三先生に学ぶ。
趣味は、音楽(ピアノ、ギター演奏) 天体観測(惑星等)神戸市在住。俳句結社童子

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