三流の暮らしについての無為自然の話題、俳句等のブログです。
一片の落花峰より水面まで「峰から水面まで」とあるから、どこかの山懐に湖や池のある景色だろう。そこに桜の花が散りつつある。「一片」とあれば、どうしてもただ1枚の花びらと考えがちであるが、そうではない。それぞれの「一片」がこの景色の悉くに遍在している訳である。私たちが花の絨毯や花筏とよんでいるものは、その一片、一片の集まりである。虚子は、一つ、一つの花に命があり、その一片、一片にも花の心が通っていると考えているのだろう。面白い句であると思う。
花筏やがて二手に分水嶺薄紅の一片のみに花の窓大風に震えて耐えてチューリップ幔幕のことごとく破れ春疾風料峭の夕べとなりぬ風過ぎて
春雨の相合傘の柄漏りかな虚子先生が春雨の中、美人と相合傘で夜の道をゆく。しっぽりと雨に濡れる風情である。この句で秀逸なのは、「柄漏り」と「相合傘」を組み合わせたところ。傘の柄を伝って先生の指が雨に濡れて光っている。でも、それを気にしているどころではない、美しいご婦人と相合傘なのだから。なんとなく艶っぽい、男の心の動揺が伝わってくる句である。
関西大学文学部国語国文学科卒、佛教大学大学院修士課程国文学専攻修了(通信課程) 国学及び近世文学及び書誌学を肥田皓三先生に学ぶ。 趣味は、音楽(ピアノ、ギター演奏) 天体観測(惑星等)神戸市在住。俳句結社童子