まつたりおうぶライフ

三流の暮らしについての無為自然の話題、俳句等のブログです。

2015年11月

富山城うしろ向きにて雪来る

高岡吟行続編

翌日は、結社の連衆は、吟行句会と俳句三昧の1日を過ごされるが、私は、仕事があるのとバスに間に合わないので、参加出来 ず、誠に残念。「あいの風とやま鉄道」で富山まで移動して、バスの発車までの待ち時間は富山市内を散策でした。駅前から城跡公演に向かう直線の道の往復で したが、いろいろなものがみられた。
城跡公園前の並木道が見事であった。

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富山城趾の公園には、高浜虚子の高弟、前田普羅の句碑がある。この句碑への表敬もこの旅の目的であった。山岳俳句の名作者で、飯田 蛇笏が賞賛した人でときいている。初冬の今日このごろに相応しい句碑を拝見することが出来て貴重な体験を致しました。

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  わが俳句は俳句のためにあらず
  更に高く深きものへの階段に過ぎず  

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  うしろより初雪降れり夜の町
  大雪となりて今日よりお正月
  雪の夜や家をあふるる童声
  雪山に雪のふりゐる夕かな
  オリヲンの真下春立雪の宿

普羅の句碑をみて北国の独特の自然を感じ取った。
この土地では、オリヲンは南側、山側に登ってくる。私たちが日常感じている太平洋側の自然とはかなり趣きが違っている。雪峰も富山城の反対側、つまり、うしろより見えている。

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  白き息凍る御空に大オリヲン
  富山城うしろ向きにて雪来る

この他にさまざまな歌碑、石碑が城跡の比較的狭いスペースに落ち葉に埋もれて立っていた。

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 枯つたに覆るほどの秀句かな
 
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この他に滝廉太郎の荒城の月もこの城跡に立って曲想が練られたと伝えられている。歌碑を捜したが、残念ながら見つけられなかった。

  

寒菊を見守るやうに地蔵尊

結社大会の前日に1泊。

翌朝ホテルを出て、午後の大会までの時間を吟行にあてる。
高岡大仏と高岡城跡公園などの散策。
これほどに美しい冬紅葉に出会えるとは思わなかった。

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高岡の大仏さまの煤掃に

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玄冬の朝仄暗き鐘の音

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寒菊を見守るやうに地蔵尊

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龍の髭冷たく濡るる手水鉢
神奈備の大祝詞宣る息白し

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冬紅葉色鮮やかに城の濠

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落葉山登つてみれば大土俵
高岡に右近の像や冬木立
雌鴨のくちばし撫づる水面かな
枯蔦の石くろぐろとくるす印


高岡には紅葉姫の伝承があり、昔から紅葉が美しいところだったのでしょう。
太郎という若者と紅葉姫の悲恋の物語です。

二上の姫も散りたる紅葉かな

静けさや葉擦れ幽かに山紅葉

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高原の池に紅葉と鯉の影
道迷ふ照葉紅葉の深き蔭
静けさや葉擦れ幽かに山紅葉
交尾期の秋の羚羊角揺らし
且つ散りて紅葉の茶屋は店仕舞

家から原動機付き自転車で15分位のところに森林公園がある。
久しぶりにガレージから自転車を出して山の公園に出発だ。
羚羊園のニホンカモシカ達が交尾期なのでううーううーと鳴いていた。
もう、今年の山の紅葉の時期は終わろうとしている。
今朝、ストーブ用の灯油等も買いでた。

祖父のアトリエと秋薔薇

関西画壇重鎮、さらには、朝日新聞大阪学芸部の創設者である祖父、古家新のアトリエは、香川県の瀬戸内海に浮かぶ小豆島にあった。1993年にアトリエは壊されて今は見る影もないが、当時、その辺り浜辺には祖父のアトリエ以外は、建物はなかった。
海からたった5㍍。今ならば、津波や防災で建築不可となる土地に1960年代の初頭に祖父は移住した。本来は、尾崎放哉の熱狂的信者であった祖父は、小豆島の洞雲山の放哉の庵の近くにアトリエを構えたがったが、結局、この場所、香川県小豆郡西村水木の地にアトリエを建設した。アトリエは当初は掘っ立て小屋程度だったのが、増築を重ねてかなり大きな建物となった。
浜辺から階段を上がるとそのままリビングの入り口だった。その西側の奥には祖母の寝室が。更にリビングから山側の廊下には、お手伝いさんの部屋とか、その先には、薪炊の風呂があり、その先には納屋があった。
納屋は、風呂の薪を割ったり、あるいは、祖父が描く絵のキャンバスを組み立てたり作業場だった。
リビングに戻って少し、東側に移動した処にもう一室、これが、この絵に描かれている窓辺の部屋だが、山側には、60年前に既にエアコンが設置され、その噴気穴の下に簡易ベッドがあり、そこで祖父がよく昼寝をしていた。窓側は、美しい浜の風景が窓越しに見えて、実は、この場所が、祖父が日の出の絵を描く場所でもあった。
リビングの東側には、広大なアトリエ増設された。そこは、もともとはオリーブ園であったところだが、その場所に数十号の大作を描ける程の巨大な壁面を持つアトリエが増築された。巨大な壁面は西側に面して建設され、東側は、エッチング用の作業部屋だった。更に海側は一段、高い広間が設けられ、そこには、瀬戸内海賊の船金庫等が置かれていた。そこから窓辺越し、こちらも海側の景色を緩やかに眺めることが出来た。ここからの眺めも素晴らしく、僕が気に入っていた場所だった。

ちょうど秋の今頃は寒霞渓の紅葉も見頃で小豆島の自然の一番美しい時でもある。

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浦波は寂しかりけり秋薔薇

この絵に描かれた風景は、僕の幼いときの祖父のイメージそのものなのである。

諸尊の肱金色なるや秋御堂

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腰痛は尋常ならず龍淵に
萩刈るやながらふ命減りつつも
朝寒や登校拒否の夢をまた
窓硝子肌に触れれば冬近し

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鬱々と快走曲聴く夜長かな
録音の古色愉しむ夜寒かな


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諸尊の肱金色なるや秋御堂
(平泉の宮沢賢治の詩碑より)

母親が階段から落ちて腰を痛めた。
介護で仕事や俳句どころではない。


ライター情報

関西大学文学部国語国文学科卒、佛教大学大学院修士課程国文学専攻修了(通信課程)
国学及び近世文学及び書誌学を肥田皓三先生に学ぶ。
趣味は、音楽(ピアノ、ギター演奏) 天体観測(惑星等)神戸市在住。俳句結社童子

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