2017年01月
母親が心臓発作で急死してから、ひどいショックで、音楽なども殆ど聴いていなかったが、ようやく心の平穏が戻り始めた。音楽もピアノも弾き始めた。
先日は実家で母親が友人から送られたレコードを聴いた。レコードは、CDと違って、心に響いてくるものがある。最近は、アナログ盤ブームだが、私の場合は、1983年にCDが登場してから一度もレコードと離れたことはなく連続して続いている。
レコードプレイヤーは、こちらに越してきた頃に入手したものだが、1984年位に発売されたもので既に30年経過しており、ヤフオクで落札した時には壊れていたが、修理して問題なく使えている。実家には、YAMAHAの本格的なプレイヤーがあるが、普段聴くには、フルオートのプレイヤーの方が貴重なレコードを痛めず扱いやすい。まず、レコードの場合は、「今日は、どのカートリッジを使うか。」ということになるレコードの場合は、針先で拾った音をまずカートリッジという部品で電気信号に変える。これも各社のものが発売されており、機種毎に音色が全く異なるので、その日の気分により、カートリッジを替えて聴く人もいる。私は、日常的には、SHUREのMG44を使っている。細部の表現は苦手だが、大らかで力強い音が好き。
レコードは、必ずラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団のモーツアルトの交響曲第39番を聴く、それ以外の曲はあまり聴かない。なんとなく緩急和める感じなのが好き。レコードの信号を拡大するアンプをイコライザーアンプと言って、微弱な電気信号を100倍程度の大きさに拡大すること、RIAA信号という特殊な特性に変調されている信号を元に戻すという二重の働きをしている。このアンプも全て自作。数100倍に信号が拡大されるので、雑音を皆無にする為に交流を直流に治す部分は、本体から放してケーブルで接続し、殆ど雑音がなくなった。
イコライザーアンプで拡大された信号は更に、ラインアンプを経由して、写真のパワーアンプに送られる。ここで、スピーカーを駆動させるパワーを与えて部屋全体に音楽を広げる働きを持っている。幾らスピーカーがよくても、パワーアンプが悪ければ全体が悪くなってしまう。ここでも真空管アンプで、これは、アルミの板に穴を開けたりそういったところから全て手作り品である。2A3という戦前の電蓄等に使用されていた真空管を使用している。この2A3も作られてから80年以上が経過している。真空管アンプは長持ち。構造が単純なので、アンプ自体を製作してから20年が経過するのに全く、問題なく動作している。
JRによって元町高架下の商店街が締め出されて、寂しくなって、それから、商店街の喫茶店で音楽を聴きながら珈琲を飲んだが、あまり美味しくはない。それよりも、自宅で音楽を聴きながら、豆から淹れた珈琲とトーストをおやつに音楽を聴くのが楽しい。
灯点せば鬼火めきたり真空管
春節というのに、JRが高架下の商店を再開発を名目に占めだしたので、これまでのような活気が失われて残念。この高架下の商店街には、名盤、迷盤をたくさんおいていた中古レコード店があったがいずれも閉店してしまいました。
先日は実家で母親が友人から送られたレコードを聴いた。レコードは、CDと違って、心に響いてくるものがある。最近は、アナログ盤ブームだが、私の場合は、1983年にCDが登場してから一度もレコードと離れたことはなく連続して続いている。
レコードプレイヤーは、こちらに越してきた頃に入手したものだが、1984年位に発売されたもので既に30年経過しており、ヤフオクで落札した時には壊れていたが、修理して問題なく使えている。実家には、YAMAHAの本格的なプレイヤーがあるが、普段聴くには、フルオートのプレイヤーの方が貴重なレコードを痛めず扱いやすい。まず、レコードの場合は、「今日は、どのカートリッジを使うか。」ということになるレコードの場合は、針先で拾った音をまずカートリッジという部品で電気信号に変える。これも各社のものが発売されており、機種毎に音色が全く異なるので、その日の気分により、カートリッジを替えて聴く人もいる。私は、日常的には、SHUREのMG44を使っている。細部の表現は苦手だが、大らかで力強い音が好き。
レコードは、必ずラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団のモーツアルトの交響曲第39番を聴く、それ以外の曲はあまり聴かない。なんとなく緩急和める感じなのが好き。レコードの信号を拡大するアンプをイコライザーアンプと言って、微弱な電気信号を100倍程度の大きさに拡大すること、RIAA信号という特殊な特性に変調されている信号を元に戻すという二重の働きをしている。このアンプも全て自作。数100倍に信号が拡大されるので、雑音を皆無にする為に交流を直流に治す部分は、本体から放してケーブルで接続し、殆ど雑音がなくなった。
イコライザーアンプで拡大された信号は更に、ラインアンプを経由して、写真のパワーアンプに送られる。ここで、スピーカーを駆動させるパワーを与えて部屋全体に音楽を広げる働きを持っている。幾らスピーカーがよくても、パワーアンプが悪ければ全体が悪くなってしまう。ここでも真空管アンプで、これは、アルミの板に穴を開けたりそういったところから全て手作り品である。2A3という戦前の電蓄等に使用されていた真空管を使用している。この2A3も作られてから80年以上が経過している。真空管アンプは長持ち。構造が単純なので、アンプ自体を製作してから20年が経過するのに全く、問題なく動作している。
JRによって元町高架下の商店街が締め出されて、寂しくなって、それから、商店街の喫茶店で音楽を聴きながら珈琲を飲んだが、あまり美味しくはない。それよりも、自宅で音楽を聴きながら、豆から淹れた珈琲とトーストをおやつに音楽を聴くのが楽しい。
灯点せば鬼火めきたり真空管
春節というのに、JRが高架下の商店を再開発を名目に占めだしたので、これまでのような活気が失われて残念。この高架下の商店街には、名盤、迷盤をたくさんおいていた中古レコード店があったがいずれも閉店してしまいました。
近所の森林公園には、兎がたくさん飼われていてみんな真っ白。
雪なのか兎なのかわからぬ位。
今日は、大寒、寒さが厳しければ、それだけ春の訪れが待ち遠しい。
大寒や直視するものみな悲し
母遺す禿びた寒紅そつと撫で
冷えきつて母の遺品は化粧棚
チェンソーの音消魂し冬木立
落つる枝ひろい集めて凍る朝
紅色に景色滲みて雪夕焼
雪が溶けるというよりも、景色全体で夕焼けに染まり溶けてゆく感じ。
冬帝や二河白道歩む如く
今朝の谷底は真っ白な細い道になった。
アイスバーン。骨折の身としては心細いことです。
白道と言えば、中国浄土宗の善導が唱えた左に水難、右に火難、後ろに偸盗が徘徊するところを旅人が歩んでいくが、この白道を辿る以外に生きる術がない。弥陀の本願に縋る心構えを描いた。
季節に支配されている私たち、結局、善導の描く世界そのものなんだと思います。
なんか浄土宗寺院の山門の標語みたいになってしまいました。
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