2017年07月
母の弔いに伊吹山のお花畑を目指した。
途中、醒ヶ井の清水の宿を訪ねた。
中山道につながる道筋の横には、冷たく澄んだ清水が流れ、梅花藻の花が最盛期だった。
但し、梅雨明けの水量が多く水面の上に出ている花は、1~2輪程度。本当に小さな花ばかりで、目をこらさないとみえないような感じ。野菜等を冷たい水で洗う為の階段が地蔵川(清水が流れる川)沿いに幾つかありとそこから下に降りると梅花藻が直ぐ近くにみることが出来る。水車もあり、レトロの郵便局も、江戸時代の問屋場の後等を過ぎると、十王の水の名所に行き着く、平安時代の十王堂があったことからその地名が残っており、日本を代表する名水だとされている。
ここの水は極めて純度が高くて、氷河期から生き残っているイトヨ等の珍しい魚が生息している。
つづいて伊吹山ハイウエイを経た頂上のお花畑を目指した。母親が生前、また、ここに戻って来たがっていた場所だった。
湧水に梅花藻の花沈みけり
途中、醒ヶ井の清水の宿を訪ねた。
中山道につながる道筋の横には、冷たく澄んだ清水が流れ、梅花藻の花が最盛期だった。
但し、梅雨明けの水量が多く水面の上に出ている花は、1~2輪程度。本当に小さな花ばかりで、目をこらさないとみえないような感じ。野菜等を冷たい水で洗う為の階段が地蔵川(清水が流れる川)沿いに幾つかありとそこから下に降りると梅花藻が直ぐ近くにみることが出来る。水車もあり、レトロの郵便局も、江戸時代の問屋場の後等を過ぎると、十王の水の名所に行き着く、平安時代の十王堂があったことからその地名が残っており、日本を代表する名水だとされている。
ここの水は極めて純度が高くて、氷河期から生き残っているイトヨ等の珍しい魚が生息している。
つづいて伊吹山ハイウエイを経た頂上のお花畑を目指した。母親が生前、また、ここに戻って来たがっていた場所だった。
湧水に梅花藻の花沈みけり
梅花藻は銀河のごとき水の中
そのままに母も眺めし夏伊吹
そのままよ月は頼まじ伊吹山(芭蕉)
雲海につづく木道湿りけり
伊吹山山頂駐車場から頂上への登山道を小一時間も登ってようやく登頂。骨折後の十全でない足を庇いながらのガレ場歩きだったので堪えました。それでも、こんな悪路でも、登山をすることが出来たので、足は、着実に回復しているのだと思いました。
青嶺から沸き立つ雲や大伊吹
伊吹山山頂駐車場から頂上への登山道を小一時間も登ってようやく登頂。骨折後の十全でない足を庇いながらのガレ場歩きだったので堪えました。それでも、こんな悪路でも、登山をすることが出来たので、足は、着実に回復しているのだと思いました。
青嶺から沸き立つ雲や大伊吹
佛教大学歴史学部歴史文化学科京都学コースの仕上げて、ようやく投函。最後の見直しで、注の番号がズレていたのを発見。やむを得ずホワイトで修正して出しました。減点だろうかなあ。論文の記述に着手してから1年半で提出出来ました。嬉しいです。
今後、8月上旬から中旬にかけての夏季スクーリングで3科目受講し、合格してから、8月25日の週に論文の口頭試問があり、主査を副査の教授先生の尋問に答えて合格すれば、卒業資格が得られる訳です。
論文も馴れている筈が、毎回、やはり、難産で、今回は、これまで発見されていなかった資料の解読と翻刻、写本の系統の同定、同系統の写本との比較、奥書における書写年代と書写地の考察、そして新出文献に関係がある福井県の瀧谷寺の現地調査等、多彩な内容でした。
庭園の秘伝書も『作庭記』のみが注目されがちですが、その他にも様々な伝本があり、これらは、秘伝の流布と関係していることや、嵯峨流庭古法の系統の本文が何故、福井県の様な土地で書写される至ったか、その歴史的経緯を考察した結果、夢窓國師没後の後継者争いや、足利幕府の庚歴の政変、南禅寺事件について、記録した同時代の文献史料の発掘と解読、また、江戸期においては、新出資料である慶應大学本『作庭記』の書写に関して松平大和守日記と言う、これもこれまで注目されて来なかった古記録資料等新発見が相次いだ。
これら全てを論文にまとめることが非常に難しかったが、出来不出来はともなくも、やり甲斐がある論文であったと思います。
今後、8月上旬から中旬にかけての夏季スクーリングで3科目受講し、合格してから、8月25日の週に論文の口頭試問があり、主査を副査の教授先生の尋問に答えて合格すれば、卒業資格が得られる訳です。
論文も馴れている筈が、毎回、やはり、難産で、今回は、これまで発見されていなかった資料の解読と翻刻、写本の系統の同定、同系統の写本との比較、奥書における書写年代と書写地の考察、そして新出文献に関係がある福井県の瀧谷寺の現地調査等、多彩な内容でした。
庭園の秘伝書も『作庭記』のみが注目されがちですが、その他にも様々な伝本があり、これらは、秘伝の流布と関係していることや、嵯峨流庭古法の系統の本文が何故、福井県の様な土地で書写される至ったか、その歴史的経緯を考察した結果、夢窓國師没後の後継者争いや、足利幕府の庚歴の政変、南禅寺事件について、記録した同時代の文献史料の発掘と解読、また、江戸期においては、新出資料である慶應大学本『作庭記』の書写に関して松平大和守日記と言う、これもこれまで注目されて来なかった古記録資料等新発見が相次いだ。
これら全てを論文にまとめることが非常に難しかったが、出来不出来はともなくも、やり甲斐がある論文であったと思います。
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