まつたりおうぶライフ

三流の暮らしについての無為自然の話題、俳句等のブログです。

2018年06月

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地震にまた崩れし垣根青蛙
紫陽花の花瓶も落つよまた余震
余震かな蝸牛這う壁割れて
黒南風の雲の冥さに怯えけり
地震の無き遠き昔や花柘榴

地震は、神戸の家の1階で朝食を食べていた時起こった。テレビの警報よりも揺れの方が先だった。概ね揺れていたのは15秒位だろうか。揺れの規模は、阪神大震災に匹敵したが、揺れている時間が3分の1位だったので家は倒壊を免れた。こちらは、震度4、川西の実家は震度5弱。川西の家が心配なので、昨日、ようやく動き出した阪急電鉄で実家に戻ってみたが、神戸の家よりも被害は軽微だった。神戸鈴蘭台では、垣根やよう壁が崩れたり、エレベーター閉じこめやスーパーの天井が落ちるなどの被害が起きた。おそらく震度4よりもよく揺れたのだと思う。震源は大阪北部だが有馬高槻断層が動いた影響で神戸市北区はその有馬が近郊なので当然、揺れも大きかったのだと思った。

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昨日の父の日は近くの六甲山森林公園に紫陽花を見に行ってきた。シーボルトが見出したというシチダンカを始めいろいろな紫陽花が山野を埋め尽くしていた。面白いのは、木漏れ日でみる紫陽花であるということ、それだけ色の変化が大きい。シャッターを切るが、その露出設定により、色彩がまるで変化してしまうのだ。紫陽花は、みていて飽きない。往復の道にて、同じ紫陽花をみたら、日が射しかかりまるで別の花の様に色彩が変化してしまっていた。


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こういった時期は、休日は家でピアノを弾いていることが多い。ショパンの遺作のワルツイ短調を弾いていた。もの悲しい曲である。
 

精神世界の存在と言うのは物理的限界を超えている。その世界を描く媒介が「存問」であり、描く手段が「客観写生」であるということです。肉眼で捉えた紫陽花と心眼で捉えた紫陽花と違っていても、心眼の紫陽花を描くということが、己の精神的位相(アスペクト)の領域の中に存在する。それが、「客観写生」ということなんだと思います。