まつたりおうぶライフ

三流の暮らしについての無為自然の話題、俳句等のブログです。

2018年09月

野分前

名称未設定 3
のこぎりと金槌の音や野分前


今年は7月大豪雨災害、8月の地震(当地は震度5弱)、台風2回、また3回目の台風がやってきます。みんな馴れたものであちらこちらで台風に備える大工仕事の音がします。 もうそれぞれの家がボロボロになってしまったので準備が必要なのです。午後3時に台風がこちらにやってくるので、それまでの対策です。

この時期は、台風と言うよりも野分と言った方が語感がよいです。庭の秋草を眺めていてそう思いました。源氏物語にも描かれています。夕霧が野分の後に六条院を見舞いに訪れて始めて紫の上を垣間見する場面が描かれているのです。そんな風に野分に乱れた庭と言えば聞こえがよいが何もかも毀れてしまって、一週間前はおおがかりの掃除で割れた鉢数百個や温室を片づけたり、崩れた屋根を片づけたりしていました。雨樋等も全部採れてしまって家ばもともとの古家がボロボロになってしまいました。

絵は母親がパソコンで描きました。

ぱらりぱらり露玉と散る母の庭

shutterstock_563039038

ぱらりぱらり露玉と散る母の庭

母が死に、父も弱って放置された庭は鉢植えが全て枯れ、その無惨の姿は目を覆いたくなるばかりなので、先週末、回収業者に全ての枯れ鉢を廃棄処分して貰いました。それでも鉢から根が飛び出した萩の鉢植えはとれないと言われそのまま放置。萩の花の句は先日詠んだが、その萩にも白玉の露がついて、それが通る人に降りかかってくるので本当に母親の泪かと思いました。

たおれ伏す鉢より零る萩の白

ah_moon3

たおれ伏す鉢より零る萩の白
祖母の琴朽ち立て掛けて月の膳
人をらぬ真菰の花のただそよぎ
鉢の木を捨てたる庭の良夜かな
母の手や月見の団子隠し塩

昔は母親が作ってくれたお月見の団子を食べたものでした。美味しかったなあ。今は、実家は誰もおらず、荒れた庭を放置しておくて近隣から苦情が来るので明日、植木鉢1個、土一升の残らず全部、業者に廃棄してもらいます。父親にも念を押したが、もう二度と実家で暮らすつもりはないということで早く処分して欲しいということなので、高い値段だが業者に頼むことにしました。たしか、枯れた鉢とかプランターとか荒れた庭をみたら暗い気持ちになるので何もかもダンシャリされた庭の方が父親にとってはよいのかもしれないです。先日、実家に戻ったら、倒れた鉢から一杯はみ出して白萩の花が零れんばかりに咲いておりました。

あかあかやあかあかのつきあかあかと


IMG_2680

あかあかやあかあかのつきあかあかと

明恵上人の歌に限りなく近いが、月を観る人の心得をやはり素直に詠んだ歌だと思う。法然上人の月影の歌も感動的だが、理に優っている部分がある。明恵上人は法然浄土教を真っ正面から批判した人だが、法然の理に勝った考え方や盲信性を批判したのだと思う。明恵上人は、釈迦の世界に帰ろうとした人で、13 世紀のインドに渡航しようと計画されていた。それは実現しなかったが、もしインドに到達していても、当時のインドの世界は終末密教の特殊な世界で、この様な月影の澄んだ境地を詠むような教えの世界では既になくなっているので、天竺に行かず、夢問答、夢日記の世界で色々なことを論じられてそれが、一番の幸福だったのだと思います。

登高の巌

turugi_kita06

登高の巌は雲に隠れけり

剣岳北方稜線(氷河沿いに登るルート)から登頂して20年以上が経過する。懐かしい昔の登山。ちょうど今頃の時期。厳しかったが、その登頂後の爽快感は凄かった。今では高齢者なので登山は当時よりも痩せていても無理なんだ。しかし、痩せたので、また、低山を中心に危険がない範囲で山歩きをしてみたいと思います。

ライター情報

関西大学文学部国語国文学科卒、佛教大学大学院修士課程国文学専攻修了(通信課程)
国学及び近世文学及び書誌学を肥田皓三先生に学ぶ。
趣味は、音楽(ピアノ、ギター演奏) 天体観測(惑星等)神戸市在住。俳句結社童子

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ
  • ライブドアブログ