童子1頁月評の原稿依頼を受けて、執筆したのが、辻桃子先生の

  灯火親しむに西行出家せり

の句を起点として、庚申さんの句の

  時雨るるや芭蕉演じる三津五郎

で西行と芭蕉の関係を述べ、板東三津五郎を演じた「独り芝居」にて、野ざらし紀行の次の句によるエピソードを述べた。

  猿を聞く人捨子に秋の風いかに

実は、その後に「童子芋煮会復活の火」という記事を取り上げて、杞夏さんの

 たちまちに剥いて十キロ芋の山

の芋煮の句へといきなりワープ(飛躍)してしまったので、いきなりなんだと思われるかも知れない。実は、スペースがあれば、以下の点について述べてみたかった訳。

野ざらし紀行に次の下りがある。

  西行谷の麓に流れあり。女どもの芋洗ふを見るに、
    芋洗ふ女西行ならば歌よまん
  
 芭蕉が西行谷というところを訪れた時に、芋洗ふ女達に出逢った訳です。こんな鄙びた風景でも西行ならば、歌を詠むだろうという意味。
 芋煮会とは、特別にはつながりはないのだが、伊賀上野への旅行記の中で、こんな下りが出てくるので、それならばということで、些か、こじつけめいた風にしてしまった訳である。野ざらし紀行とくれば、「芋洗ふ女」の句が想い浮かぶ人が多いだろうと想定して文章を書いたけれど、一体、どれくらいの人が判ってくださるだろうか。