稔典先生が、毎日新聞に大学院の同窓というか、
ずっと上に行かれた船団の中原幸子さんの句を紹介されていた。

記憶能力が低いので、句は忘れてしまったので、新聞を捜してみる。
やっと発見。

寒椿老いてますます従わす  中原幸子

もうかなりのご高齢らしい。
最後に大学院でお遭いしてから10年位経過している。
意志が強いというかすこし頑固なところが気になる人らしい面白い句だと思う。

生涯学習で、大学院でご一緒された方の大半がお年を召した方だったので、さにあらん。
一度、同窓会でもしないと、亡くなってしまう方も出てきそう。一度、私が、幹事で三谷教授をお招きして会を開いてからも相当な年月が経過している。

中原さんは、通信の修士課程から、通学の博士課程に進学された。博士課程は、通学しかないから。
大変な勇気がいったことだと思う。俳句の「取り合わせ」を研究している。

その時は、私は、「取り合わせ」など、俳句をやってなかったので、重要性を感じなかったけれど、俳句を始めて3年目にして、ようやく、そういったことを意識する段階まで、育てていただいた。

「つきすぎ」、「はなれすぎ」というのがどうゆう風に判っていくのか。また、一物づくりの句とは異なった難しさがある。

世の中、単純なものは少なく、いくつかの組み合わせで成り立っている。いわゆるコラボというのは、そういった取り合わせがうまくいってる状態。

フェースブックに、葉牡丹と折り紙を撮影した写真を載せる人がいて、それらをみていると、なるほど、これが取り合わせかなと思ってしまった。

つまり、「取り合わせ」というのは、何も俳句だけの世界ではない。
生け花や装飾、調度、服飾、様々な場面で、「取り合わせ」の妙というものが、新鮮な美しさを産みだしている。

おそらく、中原さんは、そういったことを含めて、研究されてるのだと、先日、送っていただいた「塩昆布」のことなどを想い出しながら、今更ながら、こんな文章を書いているとは、滑稽だと思う。

さて、「塩昆布」には、何を取り合わせるのやら。