山口誓子の句集「凍港」の序文にて、高浜虚子は、次の通り述べているのが面白いので引用してみる。
「私にしても俳句以外の新詩形によって、俳句以外の想を自由に歌って見たいといふ欲望は十分にある。老いた今でもあるが、若い昔は大いにあつた。誓子君が、俳句を離れて行くものとして、私は決してそれを憂ひはしない。むしろ大いにその前途に嘱望するものである。唯其は今の碧梧桐や井泉水諸君の試みてゐる如きものではいけない。もつと気魄の雄大な面かも新しい定型詩であれねばならぬ。そうして其は国語の性質からみて困難な事業であることは勿論である。」

この文章を詠めば、虚子は、旧弊な嗜好にとらわれて碧梧桐を批判した訳ではないことが理解できよう。
真剣にこの國に相応しい詩形・詩型のあり方を熟考した上で、俳句を花鳥諷詠詩であると定義づけたのであり、それは、日本語、日本文化の根源にも遡及し得る思惟の結果なのである。

凍滝をくぐり着きたり杣の宿
激つ瀬やのど瀬にかよふ落椿
凍港や旧露の街はありとのみ
雪の上に魂なき熊や神事すむ
削り木を神とかしづき熊祭り