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ほろほろと泣きあふ尼や山葵漬



山葵漬けは、山葵の根・茎をみじん切りにして、塩漬けにしてから熟成させた酒粕に和えて食塩・砂糖などを練り合わせた漬け物。
山葵は、そのままでは、鋭い香りと辛みがあるが、それが、酒粕の甘みによって和らげられて口当たりをよくしている。

おそらくは、信州かどこかの山寺、それも尼僧ばかり侘び住まい。近くの清流で山葵を栽培しているのだろう。

野際陽子の様な感じの普段は厳しく辛いだけの老いた尼僧と出家して間もないうら若き尼僧の師弟関係。

手を切るような冷たい水に手をつけての山葵の収穫等辛い仕事も日々させられている。

そんなある日、師匠が「今晩だけはご馳走よ。」

厳しい師弟関係を捨てて無礼講とあいなった。

無礼講と言っても粗末な食事であるが、山葵漬けだけがご馳走であった。

そうすると、なんということでしょう。

山葵の辛さも、一度、粕に漬けて熟成させるとこんなに和やかになるとは。

「その和やかさにほっとしたのよ。」

途端に、なんかつっかえていたものが、涙となって溢れ出て、おそらくは手を取り合う、
あるいは、抱き合うようなことにでもなったのかも知れない。
こんな短い句にそれだけのドラマが込められているのには驚かざるを得ない。

水清く山葵はかなくて人に辛し 青邨

この青邨の句は、普段の禁欲的な厳しい暮らしである。山葵漬けとは、対局にある清貧・修行の世界である。
厳しい写生の句として優れているが、ここでの「人」は一面的である。

こんな風に考えてみると虚子の句の世界には、人間ドラマが紛れもなく存在しているのだと思う。