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上田秋成の俳句って面白い。
大坂、曾根崎の生まれで、「雨月物語」の作者としても知られるが、無腸、漁焉等の号を持つ俳人でもあった。

風限水ある迄を落ち葉かな  宝暦3年  漁焉 歳旦帳

秋の季節がいつまでかということを上手に言い表せているのが面白い。

空闇し人の途絶に雪あらし  宝暦4年  漁焉 歳旦帳

「空闇し」とすなわち空真っ暗になるほどの雪嵐になれば人の行き来も途絶えてしまうことだ。まさに陸の孤島状態。江戸時代なれば、なおさらであろう。

魁る鶏は御慶のはつね哉   漁焉


この句など、雨月物語の吉備津の釜のラストシーンに思い起こさせる。吉備津の釜では、鶏が鳴いて夜明けを知らせることで、やれやれほっとできる訳だけれど、実際には夜明けではなくて月明かりに騙されて外に出たら亡霊に取り殺されてしまった。つまり不吉さとの対局に鶏が鳴くということがある訳で、そういった秋成の価値観がこの句にも現れている。

梅さくや馬の糞みち江の南  無腸 安永5年


一茶のような滑稽味が現れていてよい。江南、すなわち琵琶湖の南側の鄙びた田舎の春の風情を「馬の糞みち」と表現している。ほのぼのとした佳句である。

短夜にながき夢殿籠哉   漁焉


夢殿の不思議なところを表している。つまり、時の流れを止めてしまう夢幻の世界である。

冬がれてゆかしげもなき都かな   無腸

華やかな都でさえもゆかしげもないほど、冬ざれた景色。究極の寂しさである。これは、追悼句なので、救いようもない荒んだ心も詠んでいる。

あなかまと青梅ぬすむきぬの音  無腸


「あなかま」というのは「ああやかましい」の意味。「きぬの音」は、女性、遊女を表している。つまり、遊女が、「喧しいわね!」って言いながら青梅を盗んでいる様子。粋な句である。

人や咎む下の借着のわかれ霜   無腸

急な寒さ(別れ霜)なので、下着を借りて(女の家)から帰ろうとするのを咎める人はあろうか。これも粋な句。

目を閉めてあいて又観るさくらかな   


見たとおり、当たり前じゃないのって言われるけれど、桜だから、それも許されるんだよ。

風にはれて笠の軒からよし野雲

「よし野雲」すなわち、これは、吉野山の桜が満開のこと。眩しい春の日を遮る笠の軒から桜の花を眺めているという句。視覚的な表現が見事。

川おとや人香さめてのゆふ桜

これは源氏物語に題材がとられている。空蝉の巻に「かの薄衣は小袿のいとなつかしき人香にしめるを、見近く馴らして見ゐたまへり」とある。空蝉が光源氏のもとを、小袿だけを脱ぎ残して逃れ出てしまう様子が、詠み込まれてしまう。夕桜(女との情事)にうつつを抜かして眠ってしまった。ふと川音が耳に入って目覚めてみると、女(人香)はいなかったという趣向の句。

朝顔に起た心の深雪かな  漁焉


この句も面白い。季節は、もちろん朝顔の季節なんだけれど、目覚めた心は、深雪の様に閉ざされて冷え切っている。

こうしてみると、秋成の俳句というのは、夢想と現実の差を視覚的・感覚的な表現で巧みに表現した句が多いことに気づかされる。でも、それは、世捨て人として、世の中を斜から客観的に眺めることができたからできたのであろう。

すみよいか世を涼しさの忘れ水    漁焉