俳句結社童子の会員なので、毎月、「童子」誌が送られてくる。俳句雑誌って、主宰の句から一般会員の句までのピラミッドみたいな感じだけれど、よく読んでみると、思わぬ名句を発見したりして、楽しいものだ。9月号の中から独断と偏見で私が選んだ「秀句」「佳句」を挙げてみたい。
郭公のくわくくわくこうと屋根に来し 辻桃子
面白いし、この鳥の性格が上手に写生されている。
巣の鵯の見ればじいつと吾を見し 辻桃子
よくある表現だが、「見る」と「見し」の視線の応酬を鵯と演じている様子を客観写生で描いているところが面白い。
形代やとどろとどろと山の水 安部元気
夏越の祓えの儀式で、自らの汚れを山の水を祓うところ。元気先生の体調が思わしくない句の後に、この句が来ている。まるで、とどろとどろと音を立てて汚れが浄められていくという描写が少し不気味さもあって面白い。
兄弟の髪の逆立つ残暑かな 如月真菜
凄まじい夏。激闘の夏、それもようやく過ぎ去ろうとしているけれど、子供達の髪が逆立っているところに凄さを感じる。真菜さんの家には赤ちゃんもいるのに、この兄弟には容赦というものがないのだ。
京千日江戸では四万六千日 薗部庚申
七月九日は、観世音菩薩の千日参りの日なので、この日のことを、俗に四万六千日という。この日、観音様へ参詣すると、四万六千日詣でるのと同じ功徳があるといわれていた。また、京都の愛宕神社では、千日通夜祭といって、七月三十一日から八月一日未明にかけて参拝すると千日間の功徳を得るとする。両方ともにいかにも季節の情趣にみちている行事である。
小魚から鱶まで捌き昏れにけり 浜崎素粒子
一日中、魚を捌いていて、うんざりしないものかなと思う。でも実際、そういった一日を過ごす人もいるのだろう。
暮際の老鶯声をしぼりけり 大久保りん
今年は、特に、老鶯のシーズンになってよく鳴いていたと思う。私の家の近くでは、8月初旬までは、キチンと鳴いていたけれど、中旬以降は声が乱れ始めて、おかしな鳴き方に変化して、お盆を過ぎると鳴かなくなった。この老鶯は、頑張って鳴いているのだろう。声を絞り出す様にして鳴いている。その懸命さというのは、やはり、命の儚さにもつながって来るのだろうか。
ひろびろと水の分かれて山葵咲く 篠原風凛
清流が流れているのだけれど、やや開けた山間の水がキラキラと美しいところ。ちょうど水が分かれかけたところに山葵が咲いているという清々しさが感じられる句である。
瓜蔓の先に迷ひのありにけり たなか迪子
僕の家にはゴーヤの蔓が伸びているけれど、本当にそんな感じで瓜の蔓が探るように伸びていく様子がうまく詠まれているな。
玉虫や伐れば祟りのある藪と 篠原喜々
玉虫と祟の藪との取り合わせ、よくこんなの思いついたと思う。たしかに、玉虫の光沢をみているとなにやら強い思い入れというか執念の美しさを感じない訳ではない。面白い句だと思う。
耳すますやうにとどまる蜥蜴かな 坂谷小萩
いつも蜥蜴って何を考えているんだろうと、姿をみかける度に思う。耳をすますやうにとどまっている中で、何らかの蜥蜴の心というか意志があるんだろうな。そんな雰囲気が面白い。
ぎしぎしと蝉の抜け殻高山寺 前 壽人
「ぎしぎしと」というのが、空蝉の感じを感覚的に表されていて良いと思います。
針箱に糸七色や風通す 豊田まつり
「風通す」と「針箱」という取り合わせが面白いし、風の色とか色無き風とかいうけれど、糸七色とあり、風の姿が見えてくる様な色彩効果が秀逸だ。
てにをはを省く暮しや羽抜鳥 池蘭子
「てにをはを省く暮し」、日常の物言いが乱暴になっているのかな。そんな状況に羽抜鳥を組み合わせている。ユーモアなのかだじゃれなのか。面白い句。
熊本は馬肉(さくら)しやぶしやぶ冷奴 村杉踏青
阿蘇の温泉旅行の時の句らしい。羨ましいな。馬刺し、しやぶしやぶに冷奴。ああ、お酒が飲みたい。九州はよかところばい。
蜻蛉生れちよつと飛んでは元の石 藤なぎさ
蜻蛉というのは、ヤゴから羽化して最初に止まった石のことをずっと覚えているのだと聞く。その不思議さを素直に詠んでいるな。
飴色の車内灯なり星祭 松本てふこ
銀河鉄道の夜みたいな句で好きだな。飴色の車内灯というのが、なかなか言葉として常人には浮かんでこない。
帰らんとすればぎやうさん蛍の火 しの緋路
仰山というのがいいな。関西弁ではないのかな。
ぎやうさん蛍の火が見えてよかったね。
泉北や植田に潮の匂ひして 前川おとじ
句会でも選んだと思うけれど、泉北って、そういう感じのところですね。昔は、里山に海が近づいた風景が広がっていたんだろう。ノスタルジーやな。
青鬼灯神楽の大蛇眼かと 谷すみれ
さすが出雲の人だけある。青鬼灯と八岐大蛇の眼を組み合わせて面白い句になっています。
早や空も映さぬ今朝の青田かな 笹岡明日香
田植えが終わって、ぐんぐんと苗が生長するので、もう水面に空が映らない位になったという。優れた写生の句だと思う。
蔦青し一の枝までまだ遠し ささ南風
響きが美しい句である。まだ伸び始めの蔦の様子が淡々と描写されているところがよい。二回切れているのがむしろ自然だし、表現に大きな効果をもたらしている。
診療所沙羅の落花の中にかな 京野菜月
大きな沙羅双樹が咲いている下に診療所がある。まるで祇園精舎みたいなのがよい。また、現実の風景としてみれば、ユーモアとしても見てとれるのも良い。
緑蔭のおどごの湯つこ木造りで 北山日路地
「おどごの湯つこ」に入ってみたくなるようなところが良い。
冷酒やあれこれ言はず飲んでみい 小倉わこ
きっと美味しいお酒なんだろう。飲んだら判るである。
ちよつと出て巻葉の紅や蓮の甕 高橋晴日
巻葉とは、芭蕉、蓮などの生えたばかりの葉のまだ開かずに巻いているものとある。微かに開きかけた蓮の蕾のことなのか。視点が明確な句は、僕は大好きだ。
黒牛の尻の汚れや夏来る 唐木トム
この人はよく牛を観察していると思う。牛の乳房の句もそうだし、農家の人なのかな。
初がつを河岸にとびかふ胴間声 桝添迪弘
「胴間声」が面白い。胴から張ったような声なんで、きっと太い声なんだ。初がつをの鮮度の良さと威勢の良さ。つき過ぎという感じもあるけれど、写生の句としてみれば、佳い句だと思う。
さらさらと茶筒に移す新茶かな 藤井なづ菜
宇治からお茶を買ってきたのが、この間、良い茶ほど、デリケートなんで、本当にそっと茶筒に大事に移していく。そういった感じがよく表現された共感出来る句。
花菖蒲一本生けて静かなり にしな帆波
生け花をやっている人なんだろうな。先日も桔梗を1本だけ生けたけれど、花菖蒲を1本生けると、本当に心が静まる感じがする。そんな境地を簡潔に表現出来ていてよい。
公園の丘に登るや夏の海 中辻左門
作者にとって最後に眺めた海だったかも知れないのに淡々と描かれている。なにか静かな境地が伝わってくる。
満月が照らしているよ麦畑 田代もえ
ルソーの絵画の様な幻想的な句。いとも簡単な表現なのにテクスチャーが伝わってくる。凄い句だな。
マロニエの咲くやここらは昼寝町 椎名こはる
「昼寝町」というのが面白い。マロニエとの組み合わせもなんとなくユーモラス。あんまり暑すぎないところに咲く花なので、昼寝には最適なんだ。
矢印は「おどごの湯つこ」山法師 北島きりは
あれ、「おどごの湯つこ」ってさっきみたような。
糸電話斜めによぎる夏座敷 石井のり子
子供が座敷で糸電話ごっこをしているんだろう。距離を伸ばす為に斜めに糸を引いている。そういった情景が「斜めによぎる」ということなんだろう。面白い句。