関西画壇重鎮、さらには、朝日新聞大阪学芸部の創設者である祖父、古家新のアトリエは、香川県の瀬戸内海に浮かぶ小豆島にあった。1993年にアトリエは壊されて今は見る影もないが、当時、その辺り浜辺には祖父のアトリエ以外は、建物はなかった。
海からたった5㍍。今ならば、津波や防災で建築不可となる土地に1960年代の初頭に祖父は移住した。本来は、尾崎放哉の熱狂的信者であった祖父は、小豆島の洞雲山の放哉の庵の近くにアトリエを構えたがったが、結局、この場所、香川県小豆郡西村水木の地にアトリエを建設した。アトリエは当初は掘っ立て小屋程度だったのが、増築を重ねてかなり大きな建物となった。
浜辺から階段を上がるとそのままリビングの入り口だった。その西側の奥には祖母の寝室が。更にリビングから山側の廊下には、お手伝いさんの部屋とか、その先には、薪炊の風呂があり、その先には納屋があった。
納屋は、風呂の薪を割ったり、あるいは、祖父が描く絵のキャンバスを組み立てたり作業場だった。
リビングに戻って少し、東側に移動した処にもう一室、これが、この絵に描かれている窓辺の部屋だが、山側には、60年前に既にエアコンが設置され、その噴気穴の下に簡易ベッドがあり、そこで祖父がよく昼寝をしていた。窓側は、美しい浜の風景が窓越しに見えて、実は、この場所が、祖父が日の出の絵を描く場所でもあった。
リビングの東側には、広大なアトリエ増設された。そこは、もともとはオリーブ園であったところだが、その場所に数十号の大作を描ける程の巨大な壁面を持つアトリエが増築された。巨大な壁面は西側に面して建設され、東側は、エッチング用の作業部屋だった。更に海側は一段、高い広間が設けられ、そこには、瀬戸内海賊の船金庫等が置かれていた。そこから窓辺越し、こちらも海側の景色を緩やかに眺めることが出来た。ここからの眺めも素晴らしく、僕が気に入っていた場所だった。

ちょうど秋の今頃は寒霞渓の紅葉も見頃で小豆島の自然の一番美しい時でもある。

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浦波は寂しかりけり秋薔薇

この絵に描かれた風景は、僕の幼いときの祖父のイメージそのものなのである。