祖父の画集の別冊に中川瞭という方の「受ける」という一文がある。そこから引用させていただくと。「放浪の俳人尾崎放哉の行き果てた土庄港のはずれの小さな寺を、先生(祖父、古家新)に教えられた人は多いだろう。私たちもある日そこへ連れていかれたのだった。寒村の入り江に小さな庵がへばりついたまま風化をつづけていて、そこには時が流れていた。入江に出るまでの先生は、あまり口を聴かれず、ただ風にはためく綿布のように手足をバラバラにして歩いてゆかれた。しかしたどりついてからの庵の説明や放哉のことを話されるときは、まるで少年が秘密の小箱をあけてみせるときのようにうれしそうで、そして少し照れくさそうな表情をみなぎらせるのであった。放哉が捨て去ったものはこの地上の生ではなく、所有欲であろうか。所有・非所有の関係から抜け出たあとの句は、虚無とはほど遠い明るさがあり、ただ人が生きているとしかいいようがない。私はふと先生の絵に明るさが射し込んできていることを思っていた。先生は、小さな庵に不似合いなほど大きい句碑のまえに立たれ、長い右手を投げ出すように射し示された。石には、こう刻まれていた。

  いれものがない両手で受ける 放哉

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祖父は小豆島尾崎放哉記念館の設立の為に晩年の生涯をかけた。記念館の扁額は祖父が揮毫したものである。現代俳句の未来に生涯をかけて取り組んだ訳である。