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    全関西行動美術展から嬉しいお便りが届きました。創立70年を記念して祖父の作品も展示し、祖父が書いた文章まで資料に載せていただきました。
 戦前の朝日新聞社学芸部の基礎を固め、週刊朝日等の雑誌の創刊に関わり、1920年代後半から1930年代にかけて与謝野晶子や主要な作家の小説の挿絵を手がける一方で、和歌、俳句への造形を深めていった祖父。洋画の世界では、東京美術学校以外には、学ぶすべが無かった時代に信濃橋洋画研究所(のち中之島洋画研究所)の設立当時の研修生として学び日本黎明期の洋画を特に関西地区を中心に普及に尽力し、1920年代の終わりには、朝日新聞社やその他の関西財界の応援を得てフランスに留学し、特に印象派以降の画風を国内に伝えることに貢献しました。1930年以降は、NHKの東京のラジオ放送局で西洋美術に関する入門講座を継続的に放送し、今まで、ロマン派や印象派の表現に触れたことがなかった日本の民衆に対して西洋画の普及解説に努めました。戦時中は、他の画家の様に積極的に戦争画に協力しなかった為もあり、長い間忘れられて不遇な時期もありました。その後、行動美術協会創立し、特に今年は行動美術創立70周年であったこともあり、祖父の業績を全関西行動美術展では讃えて特別展示を行って頂きました。本当に感謝の念で一杯です。
 祖父の画業は21世紀に入ってむしろ高い評価を受けています。それは、写真芸術全盛の20世紀への反動で人間の表現の意思が感じられる「写生画」への評価が高まっていることもあり、祖父の静物画等が多くオークションに出品されて高額で落札されています。
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 祖父の血筋を継ぐ私としては、そういった業績を継承すべく様々な文化事業を興し、本来は、財団法人等を設立して、祖父の文化遺産の保護と普及に努めなければならないのですが、資金力がない為にそれも見送らざるを得ないのが残念です。