句集「あの時この時」黒木千草句集
拝受。
日常生活が珠玉の言葉の俳句として記録されている。
この句集をみて、日常生活を詠むということの重みが感じられた。
吟行を句にするのと違って日々、経験している生活感を言葉にするということで簡単な様に思われがちだが実に難しいことなんだと思いました。
作者は、童子で25年間俳句を作って来られたということ。
その25年間の俳句生活は、同時に四半世紀に渡る暮らしの記録であった。
特に母の死、父の死が記録されている。誰しも経験する人生の通過儀礼として、他人の目からみれば、簡単に言われてしまいがちだが、本人にとっては非常に重たいということは、私自身も母親の急逝により経験した。
正月をはづしわが母逝かれけり
私の母も昨年の大晦日近い時期に亡くなったが、作者の場合は、三が日を明けてからの母君のご逝去だったのでしょう。
寒晴や母の匂ひの消えゆける
父一人残して帰るちちろかな
これも私の経験したことに重なってくる。母親が先になくなったのも同じ。「母の匂ひ」というのは、子にしか判らない暖かみのある独特の匂ひであり、それは、母親が骸になっても、母親の傍にいる時は感じられるが、火葬にされて昇天されれば、その匂ひや雰囲気は薄れていってしまうものだと感じた。
父から電話一分冬麗
母親を亡くした冬の季節に父から安寧を知らせる電話が入った。たった1分の電話だけれど、それだけで嬉しいものだと感じたのだろう。
はじまれる父の介護や八月尽
秋入日父の不在を実感し
父親も介護生活に入ったのでしょう。施設に泊まってがらんとした部屋の中に居る作者の姿がみえてきます。
冬の夜や危篤の父と二人にて
返事せぬ父に語りて松明ける
相続はこれで完了春北風
とうとうお父様も亡くなられた寂しさが浮かんでくる。
両親はもう居らずして盆の家
入学子再挑戦を言ひ出せる
寒明や山羊当番の娘を送り
両親を見送った心境の句も句集に載せられており、やがて、私も父もなくし、1人ぼっちになるが、そういった未来の状況をみるような気持ちで、句集を読み進む。やはり、親を失った哀しみとは、決別しがたいものがあるが、夫婦子供と五人の家族の暮らしが未来に向けて続いていくそういった希望というのもこの句集を読んで感じられた。
私は、父母を亡くすと信州の弟以外には身寄りはおらず、天涯孤独に近い状態。父親は、目の手術で入院する。刻々と時が過ぎていくのを感じて、この句集を閉じたのだった。