精神世界の存在と言うのは物理的限界を超えている。その世界を描く媒介が「存問」であり、描く手段が「客観写生」であるということです。肉眼で捉えた紫陽花と心眼で捉えた紫陽花と違っていても、心眼の紫陽花を描くということが、己の精神的位相(アスペクト)の領域の中に存在する。それが、「客観写生」ということなんだと思います。