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水争い斧や鉈まで持ち出して
旱来て庚申塚の供え物
ことごとく白き旱田稲細し

祈雨経の絵馬掲ぐ舞台朽ちかけて
幣立てて半世紀ぶり空梅雨に


近畿地区25日まで梅雨入りしなければ、50年ぶりの旱梅雨ということになる。ここおうぶの里は、標高400メートルの裏六甲の盆地。昔は数多田畑があったが、江戸時代までは、僅かな湧き水に頼り、それでも酒米を栽培、しかも天領で年貢の取り立ても厳しかったので、水争いが絶えず、水の境界線の庚申塚が利用されていた。水争いでは死者も出た。年貢が納められないと厳しい罰が待っていたから命がけである。