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神寂びて琵琶を弾きたる寒さかな
寒月や日記懐かしき旅寝して
古写本の源氏求めんくだら野に

更級日記

冬の夜の月は、昔よりすさまじきもののためしに引かれてはべりけむに、またいと寒くなどして、ことに見られざりしを、斎宮さいぐうの御裳着おんもぎの勅使ちょくしにて下りしに、暁に上らむとて、日ごろ降り積みたる雪に月のいと明かきに、旅の空とさえ思へば、心ぼそくおぼゆるに、まかり申まうしに参りたれば、余の所にも似ず、思ひなしさへけおそろしきに、さべき所に召して、円融院ゑんゆうゐんの御世みよより参りたりける人の、いといみじく神さび、古めいたるけはひの、いとよしふかく、昔のふることども言ひ出て、うち泣きなどして、よう調べたる琵琶びわの御琴をさし出でられたりしは、この世のことともおぼえず、夜の明けなむを惜しう、京の事も思ひ絶えぬばかりおぼえはべりしよりなむ、冬の夜の雪降る夜は思ひ知られて、火桶ひをけなどを抱きても、かならず出でゐてなぬ見られはべる

写真は母が更級日記と源氏について書いた文章。ワープロで書かれている。更科日記に描かれている源氏物語は、今日、我々が目にしているものと違うかもしれない。定家が鎌倉時代に源氏物語の古写本をまとめて青表紙本をつくったが、それ以前、紫式部の原作に近い古態で書かれていた源氏物語を読んで日記の作者は感動している。その更級日記でさえも定家が写し、後世に残している。御物本と言われるが、定家の後の時代の本も全部、この御物本を写している。しかし、その御物本に錯簡があり、そのまま写されたので何がなんだが判らなくなっていた。それを御物本(現本)を冷泉家で発見した佐佐木信綱により錯簡が発見され、八百年ぶりに正しい形に改められたという経緯を持つ。