まつたりおうぶライフ

三流の暮らしについての無為自然の話題、俳句等のブログです。

お知らせ

左脳に侵出した血腫を吸い出す為に頭蓋に穴をドリルで開けた

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秋暁やアフラマズダの肌の色


左脳に侵出した血腫を吸い出す為に頭蓋に穴をドリルで開けた。なんと局部麻酔なので全ての音が聞こえる。頭蓋に穴を開ける音は意外にも閑かだが、血腫をかきだす時のあの感じは酷いもの。鈍痛のような響きがする。しかし、手術が進行するにつれて全く麻痺していた左半身に再びスイッチが入り始めるのが解った。


九月十三日頃から症状が悪化し十四日には仕事の記事も書けなくなり、十六日に会社に仕事が無理であることを告げながら、食事や日常生活をしていたら、始終こけるようになり、窓ガラスを割り、吐き、それを掃除していたが、二十一日になって風呂場に入り身体を洗おうとしたところで動けなくなった。幸いにお湯が出しっぱなしで数時間。偶然に大津から会社の社長が神戸の家まで心配してきてくれて警察に通報して家に救急隊が入ってみると反吐だらけの家の風呂場の中で半身不随の私が発見された。後、半時間遅かったら命はなかった。

入院後、手術ですぐに回復して1週間の入院後退院。まだ、右手及び右足に軽い麻痺が残るが外からみたらややぎこちない程度であり、注意してみなければおかしな点には気づかないだろう。弟も同じ病気になっている。ときどき涎が口から出てくるのが恥ずかしい。

受賞して爽やかな空見上げけり


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受賞して爽やかな空見上げけり

大学の教授会から無事に論文も合格し、卒業が決定され、論文が優秀論文に選ばれたという通知が届きました。ちょうど、その日、父親が目の手術を無事に終えて退院したばかりだったので嬉しかった。但し、残念なのは、1年前に休学せずに卒業しておれば、母親に優秀論文賞の受賞が報告できたことなので残念でした。

夜学士や老眼夙に進み来て

卒論の口頭試問が行われ、主査と副査の2人の先生に提出した清書論文についての査問が行われた。それも無事に通過して、大学の成績表(最近ではネットで直ぐに判る)をみると、論文の平常点が85点、論文自体は、82点と、9年前に卒業した仏教芸術コースに比べて5点ほど点数が下がっていたが、まあ、及第を頂くことが出来ました。また、夏期大学講座の採点が届いておらず、これで合格点に達していると、合計54単位の取得完了となり、晴れて4年かけての学修は完了。卒業ということになる。

夜学来て虫眼鏡持つ老眼子
夜学して論文つひに及第と
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夜学士や老眼夙に進み来て

大歳時記に控えている原著を比較して読む夜学は愉しいものです。

ようやく卒業論文提出、残るは夏季講習(スクーリング)

 佛教大学歴史学部歴史文化学科京都学コースの仕上げて、ようやく投函。最後の見直しで、注の番号がズレていたのを発見。やむを得ずホワイトで修正して出しました。減点だろうかなあ。論文の記述に着手してから1年半で提出出来ました。嬉しいです。
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 今後、8月上旬から中旬にかけての夏季スクーリングで3科目受講し、合格してから、8月25日の週に論文の口頭試問があり、主査を副査の教授先生の尋問に答えて合格すれば、卒業資格が得られる訳です。
 論文も馴れている筈が、毎回、やはり、難産で、今回は、これまで発見されていなかった資料の解読と翻刻、写本の系統の同定、同系統の写本との比較、奥書における書写年代と書写地の考察、そして新出文献に関係がある福井県の瀧谷寺の現地調査等、多彩な内容でした。
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 庭園の秘伝書も『作庭記』のみが注目されがちですが、その他にも様々な伝本があり、これらは、秘伝の流布と関係していることや、嵯峨流庭古法の系統の本文が何故、福井県の様な土地で書写される至ったか、その歴史的経緯を考察した結果、夢窓國師没後の後継者争いや、足利幕府の庚歴の政変、南禅寺事件について、記録した同時代の文献史料の発掘と解読、また、江戸期においては、新出資料である慶應大学本『作庭記』の書写に関して松平大和守日記と言う、これもこれまで注目されて来なかった古記録資料等新発見が相次いだ。
 これら全てを論文にまとめることが非常に難しかったが、出来不出来はともなくも、やり甲斐がある論文であったと思います。


祝全関西行動美術展70周年

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    全関西行動美術展から嬉しいお便りが届きました。創立70年を記念して祖父の作品も展示し、祖父が書いた文章まで資料に載せていただきました。
 戦前の朝日新聞社学芸部の基礎を固め、週刊朝日等の雑誌の創刊に関わり、1920年代後半から1930年代にかけて与謝野晶子や主要な作家の小説の挿絵を手がける一方で、和歌、俳句への造形を深めていった祖父。洋画の世界では、東京美術学校以外には、学ぶすべが無かった時代に信濃橋洋画研究所(のち中之島洋画研究所)の設立当時の研修生として学び日本黎明期の洋画を特に関西地区を中心に普及に尽力し、1920年代の終わりには、朝日新聞社やその他の関西財界の応援を得てフランスに留学し、特に印象派以降の画風を国内に伝えることに貢献しました。1930年以降は、NHKの東京のラジオ放送局で西洋美術に関する入門講座を継続的に放送し、今まで、ロマン派や印象派の表現に触れたことがなかった日本の民衆に対して西洋画の普及解説に努めました。戦時中は、他の画家の様に積極的に戦争画に協力しなかった為もあり、長い間忘れられて不遇な時期もありました。その後、行動美術協会創立し、特に今年は行動美術創立70周年であったこともあり、祖父の業績を全関西行動美術展では讃えて特別展示を行って頂きました。本当に感謝の念で一杯です。
 祖父の画業は21世紀に入ってむしろ高い評価を受けています。それは、写真芸術全盛の20世紀への反動で人間の表現の意思が感じられる「写生画」への評価が高まっていることもあり、祖父の静物画等が多くオークションに出品されて高額で落札されています。
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 祖父の血筋を継ぐ私としては、そういった業績を継承すべく様々な文化事業を興し、本来は、財団法人等を設立して、祖父の文化遺産の保護と普及に努めなければならないのですが、資金力がない為にそれも見送らざるを得ないのが残念です。  
ライター情報

関西大学文学部国語国文学科卒、佛教大学大学院修士課程国文学専攻修了(通信課程)
国学及び近世文学及び書誌学を肥田皓三先生に学ぶ。
趣味は、音楽(ピアノ、ギター演奏) 天体観測(惑星等)神戸市在住。俳句結社童子

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