俳句と絵画
蛍火の白描なるや玉蔓
源氏絵に蛍写して描きけり
平安時代の屏風絵の主題は四季である。宮中絵師達の仕事は、四季の自然を写し取り描くこと。源氏物語も絵画芸術として捉えると、やはり、各巻にストーリーが描かれていても、心象風景の象徴として登場人物の背後や周囲に描かれるのは、四季の風物であり、現代の歳時記につながってくる。四季が移っていくのと同時進行で物語の筋立てが進んでいく仕組みとなっている。そうして紫上が亡くなる御法の巻の後に置かれている幻巻では、その巻には四季を通じて四季の昔を静かに偲んでいる光源氏の姿を1巻にまとめて描くことで、光源氏の一生の物語としての源氏物語の前半の幕が下りる。
この絵は、母親が亡くなる直前まで取り組んでいた源氏物語の作画であるが、完成されることなく白描に蛍が描かれている。その蛍も実際に観察して写生したものを作画にしようしたのだと思われる。絵も完成しないまま、母親は救急車で病院に運ばれてゆき、この家には二度と戻って来なかった。
今月ももうすぐ終わり。
露草の花が咲いた。
俳句も童子や雑誌に投句する分だけを作っている感じ。
俳句は電車の中で作ることが多い。阪急神戸線の新開地から梅田まで間で20句位できる。
大阪に着いて、安物の喫茶店に入り、そこで句帖から投句葉書に写して、近くの大阪中央郵便局で投函するんだ。
母親がなくなってから半年が過ぎようとしているが、空虚な気持ちには変化はない。家族で文学や俳句等を話しても判る人間が死に絶えてしまったのでやむを得ない。祖父、祖母、叔母等はみんな文学や芸術への理解が深かったが、それらが一時に死に絶えてしまった喪失感は大きい。
友人にも俳句が判る人間はいないし、いるどころかやっていることが判ると馬鹿にされかねないような人ばかり、仕事関係などはなおさら。
生前、祖父は、芝居絵も描いていた。オークションで祖父の芝居絵が誰も買わないので、僕が安い値段で落札した。二代目中村扇雀さんの絵。母親の遺影が置いてある床の間に一緒に飾り楽しんでいる。
大学がいよいよ卒業に向けて動き出した。昨年末は母があのような状況となり、骨折で動けず、卒業が半年延びてしまった。夏のスクーリングで3科目。8月中に履修完了すれば、卒業論文も提出を終えて、口頭試問(2名の教官が面接して論文の内容について試問を行って採点)を終えればようやく卒業。卒業しても母親もおらず、喜んでくれる人は誰もいない。歴史学部に学士入学する時、母親は面白がってくれたが、急死してしまったんだ。
色白の女形の絵軸日除して
露草の花が咲いた。
俳句も童子や雑誌に投句する分だけを作っている感じ。
俳句は電車の中で作ることが多い。阪急神戸線の新開地から梅田まで間で20句位できる。
大阪に着いて、安物の喫茶店に入り、そこで句帖から投句葉書に写して、近くの大阪中央郵便局で投函するんだ。
母親がなくなってから半年が過ぎようとしているが、空虚な気持ちには変化はない。家族で文学や俳句等を話しても判る人間が死に絶えてしまったのでやむを得ない。祖父、祖母、叔母等はみんな文学や芸術への理解が深かったが、それらが一時に死に絶えてしまった喪失感は大きい。
友人にも俳句が判る人間はいないし、いるどころかやっていることが判ると馬鹿にされかねないような人ばかり、仕事関係などはなおさら。
生前、祖父は、芝居絵も描いていた。オークションで祖父の芝居絵が誰も買わないので、僕が安い値段で落札した。二代目中村扇雀さんの絵。母親の遺影が置いてある床の間に一緒に飾り楽しんでいる。
大学がいよいよ卒業に向けて動き出した。昨年末は母があのような状況となり、骨折で動けず、卒業が半年延びてしまった。夏のスクーリングで3科目。8月中に履修完了すれば、卒業論文も提出を終えて、口頭試問(2名の教官が面接して論文の内容について試問を行って採点)を終えればようやく卒業。卒業しても母親もおらず、喜んでくれる人は誰もいない。歴史学部に学士入学する時、母親は面白がってくれたが、急死してしまったんだ。
色白の女形の絵軸日除して
オークションで祖父の画集を落札した。
家にもあるのだが、追想と呼ばれる別冊を紛失してしまい、ここの亡くなった母が残した唯一の文章が綴られているので、この別冊の為に購入した。
柘榴と題された母の小文。これを読むと母の声が聞こえてくるような気がする。若い頃は透き通るよい声の持ち主であった。、「この葡萄ももう魅力ないで、後はメロンも、梨も丸いもんばっかりやあ。何ぞ柘榴か毬付きの栗でも捜してきてくれんか。」というセリフで始まる文章は、文体には乱れがあるものの、母親が絵描きの祖父の為に静物画の材料を探しに野に出て、あるいは、家で薔薇や四季の草木を栽培していた昔を思いさせてくれる。
画集に懐かしい絵が載っていた。早春の小豆島の段々畑。ちょうど今頃の季節だろうなあ。お遍路さんが鈴をチリンチリンと鳴らして通っていた段々畑の小径。まだ、作物は芽を出していないのでただ、鮮やかなブルーの空だけがだだっ広く感じられる場所だった。風景画家は季節とともに暮らし、季節と共に死んでいくのだと思います。母親も向こうでまた、祖父の画業の手伝いをしているのでしょう。
息切らし畦登り来て島遍路
月別アーカイブ
カテゴリー