まつたりおうぶライフ

毎日の平凡で程度が低い暮らしについてそこはかとなく浮かび来る無駄な話題、俳句等のブログです。

古典研究

みほとけは頬に指当て春待てり

The old mere! A frog jumping in The sound of water

佛大日本文化史の回答案より。

 俳諧・俳句の成立・受容においては、海外文化との交流がその初段階にみられるということ、また、明治以降の子規が創始した近代俳句は、同時に世界への「日本の誇る俳句文学」の発信が行われたことや、あるいは、来日していた欧米人が日本の俳句文芸について知ることとなり、欧米の詩歌文芸ジャンルにも影響を与え、「短詩形」としてのHAIKU運動が起こり、フェースブック等を介して、各国のHAIKU関連団体が投稿を行っている。また、短詩形の俳句は、写真・映像とのコラボレーションで高い融合性をみせる文芸ジャンルであり、日本・海外ともに写真俳句が隆盛を極めている。こうして、俳句・HAIKUは、日本、海外の人たちの日常的な文芸として楽しまれる様になっている。

 

 さて、俳句の元となったのは、連歌そして俳諧である。連歌と俳諧との違いはその連衆が連歌は堂上人が中心で、俳諧は、堂上も地下も関係なく平等に座を形成して連句が行われる点である。従って季題についても連歌は伝統的な和歌に詠まれて来た風物が中心であり、俳諧は、もっと日常や生活に纏わる季題も加わることなる。

 俳諧の基本は、「座」である。座を中心とした芸術としては、茶道もある。これは、16世紀に南蛮の宣教師との関係から、キリスト教のミサの影響を受けているという説もある。身分の違いを超えて同じ座で物事を嗜む習慣は、切支丹衆の影響であろうか。松永貞徳も、南蛮寺に足繁く通っていたし、堂上の連歌から、俳諧の道を創始した代表的な人物である。

 南蛮人がもたらした文化としては、天草版にみられる活版印刷術である。キリスト教文献の他にも平家物語や日本の古典等も初期の活字で刊行された。その後、関ヶ原合戦以降は、活版印刷は廃れ、その替わりに整版印刷となるが、印刷文化、出版文化の庶民化が欧米に先駆けて進展をみた。

 そうした文芸の庶民化は、古典の研究や解釈にも影響をもたらし、北村季吟の様な誹諧師、国学者を産み出し、その弟子として、松尾芭蕉が登場するのである。

 蕉風誹諧は、これまでの滑稽中心から、漢籍、日本古典の文化的な蓄積を踏まえ、その発句には一段高い文芸的な位置を与えた。発句を中心として、付句、脇句が展開し、1つの作品の宇宙空間を形成していく。

 芭蕉没後も蕉風誹諧は、優れた門人達にとって継承されていく。そういった状況で、芭蕉は、俳聖として神格化されていく。蕉風誹諧、月次の句会を通じて、人々の文化的規範として、カノン化されていく。

 明治期に入っても政府の文教政策の中に蕉風俳句も位置づけられ、教導として多くの蕉風俳人が就任し、その後は、明倫社等の組織集団が登場する。その様な時代に近代俳句の創始者正岡子規が登場する。

 子規は、権威づけ、神格化された蕉風誹諧を嫌い。「月並み」と軽蔑し、江戸期の誹諧の正当としては、蕪村等を重んじていくようになる。

 しかし、子規は、芭蕉の俳句そのものを軽視した訳ではない。その理由として、俳句を海外にも紹介する為にいくつかの芭蕉の俳句を英訳していることからもうかがわれる。

 古池や 蛙飛び込む 水の音(子規訳)
The old mere! A frog jumping in The sound of water
 芭蕉の句は、すでに明治期の終わりには、英訳が様々な内外の人物によって行われ、現在も続けられている。
An old pond A frog jumps in A splash of water.
新渡戸稲造
The old pond, ah! A frog jumps in: The water's sound.
鈴木大拙
Old pond Frogs jumped in Sound of water
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
The old pond, Aye! and the sound of a frog leaping into the water
バジル・ホール・チェンバレン
The ancient pond A frog leaps in The sound of the water.
ドナルド・キーン
The old pond. A frog jumps in Plop!
レジナルド・ホーラス・ブライス
静けさや 岩に滲み入る 蝉の声
How still it is here Stinging into the stones, The locust's trill
ドナルド・キーン
Ah, tranquility! Penetrating the very rock, a cicada's voice
ヘレン・クレイグ・マックロウ
田一枚 植えて立ち去る 柳かな
They sowed a whole field, And only then did I leave Saigyô's willow tree
ドナルド・キーン
行春や 鳥啼魚の 目は泪
Spring departing—the birds cry out
and the eyes of the fish are full of tears
ドナルド・キーン
一家に 遊女もねたり 萩と月
Under the same roof Prostitutes were sleeping—The moon and clover
ドナルド・キーン
荒海や 佐渡によこたふ 天河
Turbulent the sea—across to Sado stretches the Milky Way
ドナルド・キーン
蚤虱 馬の尿する 枕もと
Plagued by fleas and lice, I hear the horses stalling Right by my pillow
ドナルド・キーン
The fleas and lice—and next to my pillow, a pissing horse
ヘレン・クレイグ・マックロウ
この道や 行く人なしに 秋のくれ
Along this road Goes no one, This autumn eve.
レジナルド・ホーラス・ブライス
塚も動け わが泣く聲は 秋の風
Shake, O grave! My wailing voice Is the autumn wind.
レジナルド・ホーラス・ブライス
Though I would move the grave, my teary cry
was lost in the autumn wind.
カール・M・ジョンソン
秋深き 隣は何を する人ぞ
Deep autumn; My neighbor, How does he live?
レジナルド・ホーラス・ブライス
Deep autumn my neighbor, how does he live, I wonder?
ロバート・ハス

 

 子規の果たした役割は、「写生」という概念を明確にすることで、俳句の近代化を図ったことは知られているが、俳句文化を近代化を通じて国際的な理解の土壌に持ち込んだという大きな貢献がある。近代俳句の流れは、その後、ホトトギス結社の創設、子規の早世後、高浜虚子や河東碧梧桐等によって引き継がれてゆく。その中で、伝統俳句と、碧梧桐の様な革新俳句とは袂を分かっていく。

 日本は、その後、国粋主義、軍事国家への道を歩み、時流に便乗した高浜虚子を中心とした伝統俳句が中心となり、碧梧桐の無季・自由律俳句は廃れていく。

 無季・自由律の「俳句」の運動はむしろ、海外のHAIKU運動にフィードバックされていき、現在、海外で、HAIKUとして作られているものには、自由律は無論、無季の作品の割合の方が多くなっている。

 21世紀になって、日本文学研究のグローバル化が進み、日本学の文芸部門は飛躍的発展をみている。ハルオ・シラネやジョシュア・モストウの様なテクストから研究史までを包括した高度な理解力を持った研究者が現れ、江戸文学への傾倒が強まり、芭蕉の句を直接的に学術的な意義・価値付けを行い、日本の近代俳句の流れについても批判研究が行われるに至っている。

 その内、欧米人がHAIKUではなくて、日本語による俳句を作るようになり、俳句界の真の国際化が進むのであろうか。

おらしおを囲みつぶやく春の闇

 春の季語として「絵踏み」、「踏み絵」がある。

アラミレ 
 16世紀の後半以降、パーデレが伝えた教会音楽と言えば、ジェスカン・デ・プレ(1440-1521)、ムリュ(1485-1550)等の当時の「現代宗教音楽家」達の音楽ではないだろうか。
 天正遣欧使節の少年達がローマ教皇の前で、これらの音楽(器楽を含めて)上手に演奏しただろうと言ったお話。佛教大学の場知賀礼文先生からお話を訊く機会がありました。
 
 ちょうど今の季節、静かに聴くのに相応しいアカペラのルネサンス宗教音楽。僕には、このCDの3番目に収録されている曲が胸にジンと来ました。









「ああ悲しみよ・慈悲深いイエスよ」

Pie Jhesu Domine
dona ei requiem
Amen

二拍子で淡々と歌われるポリフォニーの進行の素晴らしさ。
当時のキリシタンの少年達が歌ったのでしょうか。

録音は、バチカ先生と同じ国、ベルギーのルーヴェン、アイリッシュ・カレッジ・チャペルで行われた。
演奏は、カピラ・フラメンカという団体。済んだ声がヒリアードアンサンブルよりもやや硬質であるけれど、澄んだ声が素晴らしい。
 
 次のCDは、生月壱部の隠れキリシタンのオラシオを収録したCDである。数人によるもはや呪文というかおこないの様子が収録されているが、元々は、あんなに立派なルネサンス音楽だっただと思隠れキリシタンうと、本当に胸が熱くなる。

Ne reminiscaris domine debita nosotara vel parentumu neque vindictam sumas de peccatis 

という典礼文は、

れれにねえれす どーうめ てぶたのすたら てにぼろんとのすたら ろーろーにきりびてそうな、・・・・

という風な経文として唱えられていく。











中指の痕傾ぎたる踏絵板
染卵あめんまりあと供えけり
あはれみの御母眺む春の潮
すぴりつの供え玉いし絵を踏まじ
おらしおを囲みつぶやく春の闇


安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流

IMG_4771













安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背比爾所見 興島 清波 激而 風吹者 白波佐岐 潮干者 玉藻刈管 神代従 然曽尊吉 玉津島夜麻


興津島有磯の玉藻汐満ちて
      居隔り去れば 思ひえむかも

和歌の浦に潮満ち来れば潟を波
      芦辺を指して田津鳴き渡る

和歌浦に白波立ちて興津風
      寒く暮るれば 大和し思ゆ
 


若浦神代磐爾春之潮  
(和歌の浦神代の磐に春の潮 tuyoshi)


西行→芭蕉→芋

童子1頁月評の原稿依頼を受けて、執筆したのが、辻桃子先生の

  灯火親しむに西行出家せり

の句を起点として、庚申さんの句の

  時雨るるや芭蕉演じる三津五郎

で西行と芭蕉の関係を述べ、板東三津五郎を演じた「独り芝居」にて、野ざらし紀行の次の句によるエピソードを述べた。

  猿を聞く人捨子に秋の風いかに

実は、その後に「童子芋煮会復活の火」という記事を取り上げて、杞夏さんの

 たちまちに剥いて十キロ芋の山

の芋煮の句へといきなりワープ(飛躍)してしまったので、いきなりなんだと思われるかも知れない。実は、スペースがあれば、以下の点について述べてみたかった訳。

野ざらし紀行に次の下りがある。

  西行谷の麓に流れあり。女どもの芋洗ふを見るに、
    芋洗ふ女西行ならば歌よまん
  
 芭蕉が西行谷というところを訪れた時に、芋洗ふ女達に出逢った訳です。こんな鄙びた風景でも西行ならば、歌を詠むだろうという意味。
 芋煮会とは、特別にはつながりはないのだが、伊賀上野への旅行記の中で、こんな下りが出てくるので、それならばということで、些か、こじつけめいた風にしてしまった訳である。野ざらし紀行とくれば、「芋洗ふ女」の句が想い浮かぶ人が多いだろうと想定して文章を書いたけれど、一体、どれくらいの人が判ってくださるだろうか。


 

暇なので、翻字してみた(夢浮橋)

DSCN0890


前回、写真に出した夢浮橋の写本の末尾の部分(左頁)を直接翻字するとこんな風に。

くらさむもあやしかるへけれはかへり
なんとし人しれすゆかしきありさ
まをえみすなりぬるをおほつかなく
くちおしくて心ゆかすなからまいりぬ
いつしかとまちおはするにかくたと
ゝしくてかへりきあれはすさまし
く中ヽなりとおほすことさまゝにて
人のかくしすへたるにやあらむとわか
御心の思よらぬくまなくおとしをき
たまへりしならひにとそ本にはへめる

これを漢字、濁点、読点等を付してようやく読める様にしたのが、次の例。

暮らさむもあやしかるべければ、帰り
なんとす。人知れずゆかしき御ありさ
まをもえ見ずなりぬるを、おぼつかなく
口惜しくて、心ゆかずながら参りぬ。
いつしかと待ちおはするに、かくたど
たどしくて帰り来たれば、すさまじ
く、なかなかなりと思すことさまざまにて、
人の隠しすゑたるにやあらんと、わが
御心の、思ひ寄らぬ隈なく落としおき
たまへりしならひにとぞ、本にはべめる。

これを更に本文異同を検証してようやく、注釈の作業に入るのだから大変。
三条西家証本の写本なので、青表紙本としては、非常に素性の良い本文であることが判るだろう。

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