句集
最近は、写真句集を出される方が増えて来ている。自分で撮影した写真に自詠句をコラボさせてそのイメージの広がりをもたせるのが目的なのでしょう。私も通常の句集は出していないが西国三十三箇所巡礼の写真を句をコラボした写真句集を私家集として制作して、一部を句友に配布したことがある。
この写真句集を更に発展させたのが映像句集である。現在、映像句集の出版事例は限定されているが、ッユーキャン等で制作販売されている映像歳時記等はこの部類に入るだろう。季語の説明及び作例等を具体的な映像イメージと共に紹介されている。非常に判りやすく興味を持ちやすい。季題・季語の本意を普遍的に捉えることが出来るメリットがある。一方で、映像による具体化でむしろそのイメージの広がりを限定しています可能性もある。
映像句集として個人が制作して楽しむケースもある。ビデオ編集ソフトを使い、写真撮影したものを画面に貼り付けて、その写真に見合った自詠句をコラボしていくやり方。音楽もそのイメージに合ったものを自作自演するなどすれば、当に総合芸術としての作品を造り上げることが出来る。
その例として試作したのが、「紫陽花の想い出」である。取りあげている句は近所の森林植物園での紫陽花を撮影してものに自詠句を組み合わせて、場面毎にコラボさせている。背後に流れる音楽は、ドビュッシーのアラベスク1番の終わりの部分だが、これも私がピアノを弾いて録音をしたものを組み合わせている。俳句の知識がない父親にみてもらったが、案外に好評であった。YOUTBEにアップしてあるので興味がある人はみて欲しい。
俳句結社童子の同人として日々目指しているのは客観写生であるが、いかんせんとも、主情を交えた句を日々の句作で作りがちである。童子の同人の方々から、精魂を込めた句集をお送りいただいてまことに恐縮であり、余の書棚には、数多の童子や句友先生方の珠玉句集が安置されており、日々、それらの句集を参考にすべく開いてみている次第である。
そういった中で今日は、安藤ちさとさんがお送り下さった句集『小さき喉』を開いてみてをる。
この方の句集を開いてみて感じたことは、客観写生に徹しているということ。日常の出来事を他の俳人の方と同様に詠み込んでおられるが、あくまで、己の存在を客観視されていることに感銘を受けた。
九州で活躍されてをられるということだが、日々の精進、更に、客観写生を究めた句を期待したいところである。
特に感銘を受けた句を下記に挙げた次第である。
船頭の背に影落とす柳かな
唄ひ手のもう終はりよと盆踊り
垂直に皿に飛び込む秋の蠅
各々のしぶきをあげて泳ぎけり
秋水を静かにかけて鎌研ぎぬ
湯上がりの廊下に残る寒さかな
薄氷はがせば水のあふれけり
天の川盆地は闇に沈みけり
種袋みな達筆で名を書かれ
『風土記』より紙魚ぞろぞろと走り出ず
コスモスに囲まれ赤子泣き出せり
削られし鉛筆にほふ立夏かな
甲板に人あふれたる薄暑かな
浮き島の形のままに草茂る
いずれも凝縮された客観写生の表現でここまでの写生の境地に達することは、なかなかに困難であるが、日常生活の経験を陶冶し、句に注ぎ込むことの日々繰り返して、これほど表現に達し得たというのは、敬服に値するものだと思う。
句集「あの時この時」黒木千草句集
拝受。
日常生活が珠玉の言葉の俳句として記録されている。
この句集をみて、日常生活を詠むということの重みが感じられた。
吟行を句にするのと違って日々、経験している生活感を言葉にするということで簡単な様に思われがちだが実に難しいことなんだと思いました。
作者は、童子で25年間俳句を作って来られたということ。
その25年間の俳句生活は、同時に四半世紀に渡る暮らしの記録であった。
特に母の死、父の死が記録されている。誰しも経験する人生の通過儀礼として、他人の目からみれば、簡単に言われてしまいがちだが、本人にとっては非常に重たいということは、私自身も母親の急逝により経験した。
正月をはづしわが母逝かれけり
私の母も昨年の大晦日近い時期に亡くなったが、作者の場合は、三が日を明けてからの母君のご逝去だったのでしょう。
寒晴や母の匂ひの消えゆける
父一人残して帰るちちろかな
これも私の経験したことに重なってくる。母親が先になくなったのも同じ。「母の匂ひ」というのは、子にしか判らない暖かみのある独特の匂ひであり、それは、母親が骸になっても、母親の傍にいる時は感じられるが、火葬にされて昇天されれば、その匂ひや雰囲気は薄れていってしまうものだと感じた。
父から電話一分冬麗
母親を亡くした冬の季節に父から安寧を知らせる電話が入った。たった1分の電話だけれど、それだけで嬉しいものだと感じたのだろう。
はじまれる父の介護や八月尽
秋入日父の不在を実感し
父親も介護生活に入ったのでしょう。施設に泊まってがらんとした部屋の中に居る作者の姿がみえてきます。
冬の夜や危篤の父と二人にて
返事せぬ父に語りて松明ける
相続はこれで完了春北風
とうとうお父様も亡くなられた寂しさが浮かんでくる。
両親はもう居らずして盆の家
入学子再挑戦を言ひ出せる
寒明や山羊当番の娘を送り
両親を見送った心境の句も句集に載せられており、やがて、私も父もなくし、1人ぼっちになるが、そういった未来の状況をみるような気持ちで、句集を読み進む。やはり、親を失った哀しみとは、決別しがたいものがあるが、夫婦子供と五人の家族の暮らしが未来に向けて続いていくそういった希望というのもこの句集を読んで感じられた。
私は、父母を亡くすと信州の弟以外には身寄りはおらず、天涯孤独に近い状態。父親は、目の手術で入院する。刻々と時が過ぎていくのを感じて、この句集を閉じたのだった。
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