まつたりおうぶライフ

毎日の平凡で程度が低い暮らしについてそこはかとなく浮かび来る無駄な話題、俳句等のブログです。

虚子の句

みほとけは頬に指当て春待てり

山の背を転げまわりぬ春の雷

山の背を転げまわりぬ春の雷

なんとなく雷神のあのユーモラスな姿が見えてきそうな愉快な句である。
実際、春の雷は、山辺に沿って低いところに発生することが多い。山の麓にかけて気温が下がって湿度も高い。だから、夕方近くにゴロゴロ言うこともある。

ある意味、擬人的な表現だが、春の雷ののどかさがよく表現できている佳句である。

彼一語我一語新茶淹れながら

彼一語我一語新茶淹れながら

彼と我との関係について詠んだ句であろうが、そこに「新茶」が介在している。新茶によって会話が成り立っている。だからこそ新茶が主役なのである。

昨日の句では、山葵漬が2人の尼の人間関係を動かしたが、こちらは、新茶である。

彼一語我一語と会話を簡潔に表現している。
一語一語と重なるところに2人の人間関係の深さが伝わってくるような。

また、新茶の爽やかさがあり、おそらくはベタベタしたところのない潔い関係なんだろう。

簡潔な佳い句だと思う。

ほろほろと

wasabiduke






















ほろほろと泣きあふ尼や山葵漬



山葵漬けは、山葵の根・茎をみじん切りにして、塩漬けにしてから熟成させた酒粕に和えて食塩・砂糖などを練り合わせた漬け物。
山葵は、そのままでは、鋭い香りと辛みがあるが、それが、酒粕の甘みによって和らげられて口当たりをよくしている。

おそらくは、信州かどこかの山寺、それも尼僧ばかり侘び住まい。近くの清流で山葵を栽培しているのだろう。

野際陽子の様な感じの普段は厳しく辛いだけの老いた尼僧と出家して間もないうら若き尼僧の師弟関係。

手を切るような冷たい水に手をつけての山葵の収穫等辛い仕事も日々させられている。

そんなある日、師匠が「今晩だけはご馳走よ。」

厳しい師弟関係を捨てて無礼講とあいなった。

無礼講と言っても粗末な食事であるが、山葵漬けだけがご馳走であった。

そうすると、なんということでしょう。

山葵の辛さも、一度、粕に漬けて熟成させるとこんなに和やかになるとは。

「その和やかさにほっとしたのよ。」

途端に、なんかつっかえていたものが、涙となって溢れ出て、おそらくは手を取り合う、
あるいは、抱き合うようなことにでもなったのかも知れない。
こんな短い句にそれだけのドラマが込められているのには驚かざるを得ない。

水清く山葵はかなくて人に辛し 青邨

この青邨の句は、普段の禁欲的な厳しい暮らしである。山葵漬けとは、対局にある清貧・修行の世界である。
厳しい写生の句として優れているが、ここでの「人」は一面的である。

こんな風に考えてみると虚子の句の世界には、人間ドラマが紛れもなく存在しているのだと思う。


名残の桜

花見










































拙宅から30分ほど歩くというか登攀したところに六甲山森林植物園がある。
そこでは、ちょうど今が桜の見頃だという。

もう、おぶの里では、見頃をとうに過ぎて名残の桜という気分である。

平安時代の貴族の花見は、まず、洛中の桜を楽しみ、ちょうど今頃になって平地の桜が終わりになった後は、山の桜をみる楽しみ方がある。当時の貴族の日記をみても、馬を駆り、時には、とまりがけで鞍馬寺の奥深くまで桜を見に行ったことが記されている。

源氏物語の若紫の巻に出てくる桜は、そんな平地では、とうに終わってしまっている時分の桜である。
山里で尼君にはぐくまれてなんら世間ずれたところがない幼い女の子なので、同じ年頃、つまり、洛中の少女に比べて晩熟であるという意味も暗喩として背景にある。

そんな風流な話を想い出しても、春の風邪を拗らせてしまって、呼吸もままならず、山桜を見にいくこともできない。

花見にと馬に鞍置く心あり

この句もちょうど今頃、山桜を見に遠出をしようとする気分を詠んだ句であり、古典的である。
芭蕉等も想起させられる様な作り方である。
「花鳥諷詠」の心と故きを温める心が、この句では交わっている。
晩年の虚子らしい名句である。

海行けば 水清く屍 山行かば 草生す屍

春の山屍を埋めて空しかり


虚子がなくなったのは、昭和34年の4月8日であった。この句は、同年3月30日に詠まれたもの。この日は婦人子供会館での句謡会に出席していた時に詠まれたと収載の750句に付記されている。

子規が自分のことを仏に喩えて句をつくった晩年と重ね合わせると、ここでは、自らの死を予感しているような感もある。もっとも、死ぬ1週間前までは、存外にお元気だったということだから、なんとなく、本能的にそのような境遇を感じていたのかも知れない。

春の山に屍を埋めるという表現は、かつて大日本帝國が1937年に國民精神強調週間を制定された時に作られた歌を想い出す。これは大伴家持の万葉集に収載されている長歌であるところの、

海行けば 水清く屍 山行かば 草生す屍、大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言ひたて 丈夫の 清きその名を 古よ 今の現に 流さへる 祖の子供ぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる 言ひ立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる(後略)


からとられている。この時代から平安時代に下るまでは、庶民がなくなると野山に放置するのが習俗であり、この日本の国土は、屍の匂いがところどころに養分となって染みついている。あの美しい桜でさへもその屍の養分によってあの様な美しく潔い花を咲かせている。


日々花鳥を友としている俳句人にとっては、常に屍と隣合わせである。埋められた己の屍が美しい草木を咲かせ、またまた、子孫を育むことになるんだけれど、そんなことを判っていてもやはり空しいという境遇を静かに詠んだ句であると思う。
 


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