まつたりおうぶライフ

三流の暮らしについての無為自然の話題、俳句等のブログです。

カテゴリ: 虚子の句

一片の落花峰より水面まで

「峰から水面まで」とあるから、どこかの山懐に湖や池のある景色だろう。
そこに桜の花が散りつつある。
「一片」とあれば、どうしてもただ1枚の花びらと考えがちであるが、そうではない。
それぞれの「一片」がこの景色の悉くに遍在している訳である。

私たちが花の絨毯や花筏とよんでいるものは、その一片、一片の集まりである。
虚子は、一つ、一つの花に命があり、その一片、一片にも花の心が通っていると考えているのだろう。

面白い句であると思う。

相合い傘





























春雨の相合傘の柄漏りかな

虚子先生が春雨の中、美人と相合傘で夜の道をゆく。
しっぽりと雨に濡れる風情である。

この句で秀逸なのは、「柄漏り」と「相合傘」を組み合わせたところ。
傘の柄を伝って先生の指が雨に濡れて光っている。
でも、それを気にしているどころではない、美しいご婦人と相合傘なのだから。

なんとなく艶っぽい、男の心の動揺が伝わってくる句である。

湯

































湯に入りて春の日余りありにけり

このおうぶの谷に越して来て一軒家に棲むまではあまり早い時間の風呂に入ったことがなかったが、朝風呂を含めて明るい時間に風呂に入るのが好きである。

この句の様な露天風呂もしくは開放的な窓があり、湯船に春の光が映えるような経験をしてみたいものだ。

仄かな湯気を通して柔らかい春日陰が射している。そんな湯船に浸かろうとすると、余ったお湯が春の日を乗せて、そのまま流れ出て行く、そういった瞬間を描いた句である。

春の山歪ながらも丸きかな

よくみると山の輪郭は季節によってかなり変わることに気づかせられる。
私の家は谷筋の道に沿って建てられているのだが、そこから急峻な谷の崖の上の山が切り立って迫っているのが見える。
これは無邪気な想像に過ぎないのだが、鵯越の逆落としの極秘作戦を秘めた義経の軍勢が、有馬街道を下って来て、この谷筋を南下、一ノ谷への逆落としに向かっていったのではないかと思うほど。
この様な岩山等は、冬になると照葉樹がすべて葉を落としてしまうので、その岩の輪郭、稜線がギザギザ凸凹に見える。
それが、座敷から今日眺めていると新芽が伸びて来て、徐々にそのごつごつした感じが隠されて丸みを帯びた輪郭に変わっていく。
そんな情景を詠んだ句ではないかと思う。
これが初夏となり、野生の藤で山一面が紫色になる時期も過ぎれば鬱蒼としてくるものだ。
季節の移ろいを上手に写した句だと思う。

たとふれば独楽のはじける如くなり

晩年の虚子が、碧梧桐との仲を喩えて詠んだ句だという。

どちらも勢いよく回っているのだけれど、少しでも接触するとはじけ飛ばされてしまう。
そんな風な関係だったのだろうか。

大体が虚子は子規門下では碧梧桐の後輩なのである。碧梧桐が居なければ、虚子は子規の弟子ではあり得なかったかもしれない。京都の第3高等学校に進学した時、虚子と碧梧桐は、寝食を共にする程で、その下宿さえも、「虚桐庵」と名付けた程。

それが、碧梧桐の婚約者である大畠いとと碧梧桐が入院中に親密になり、結婚した辺りからおかしくなった。子規の死去、子規の後継をめぐって争いが表面化した。しかし、当時のホトトギスの混迷の状況からみて、虚子の経営手腕なくしてホトトギスは、継続しなかったのはやむを得まい。
虚子は、1912年にホトトギスに俳句雑詠欄を復活。おのずから「守旧派」を宣言し、俳壇に復帰した。碧梧桐が自らの才能で切り開いた新傾向俳句と対立する結果となった。

同じ蓆の上で、2つのよく回る独楽を回したのは子規だったが、対立する性格が鮮明になればなるほど、独楽が当たると弾け散るような関係になっていった。

若き日のそんな2人の対立を虚子が回想してこんな句を詠んだのだろう。

碧梧桐の句で面白いのは、

曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ

なんか牛のよだれの湿っぽさと冷え冷えとした秋の空の様子、屠られる牛が屠場の方に曲がる辻道で歩くのを渋って、じっと大きな黒い眼で秋の空を見上げた様子が感覚的に伝わってくる素晴らしい写生句だ。

霧深し胸毛の濡るる朝の鹿

秋の鹿の胸の白いふさふさとした毛が朝の霧で濡れている。きっともう息は白いのだろう。
これも何かしら生への哀愁を伴った名句である。

空を挟む蟹死にをるや雲の峰

この句はやはり作りすぎとの見方もあるが、空を挟む様に瀕死の蟹が一あがきした時、その鋏の向こうに雲の峰が見えていた。
一点凝視から巨大な積乱雲へと視点が極端に拡大していく様子。ミクロからマクロへの視点の転換が見事である。


子規が評価した様に私も写生句における碧梧桐の鮮烈な感受性と表現力を評価したい。