たとふれば独楽のはじける如くなり
晩年の虚子が、碧梧桐との仲を喩えて詠んだ句だという。
どちらも勢いよく回っているのだけれど、少しでも接触するとはじけ飛ばされてしまう。
そんな風な関係だったのだろうか。
大体が虚子は子規門下では碧梧桐の後輩なのである。碧梧桐が居なければ、虚子は子規の弟子ではあり得なかったかもしれない。京都の第3高等学校に進学した時、虚子と碧梧桐は、寝食を共にする程で、その下宿さえも、「虚桐庵」と名付けた程。
それが、碧梧桐の婚約者である大畠いとと碧梧桐が入院中に親密になり、結婚した辺りからおかしくなった。子規の死去、子規の後継をめぐって争いが表面化した。しかし、当時のホトトギスの混迷の状況からみて、虚子の経営手腕なくしてホトトギスは、継続しなかったのはやむを得まい。
虚子は、1912年にホトトギスに俳句雑詠欄を復活。おのずから「守旧派」を宣言し、俳壇に復帰した。碧梧桐が自らの才能で切り開いた新傾向俳句と対立する結果となった。
同じ蓆の上で、2つのよく回る独楽を回したのは子規だったが、対立する性格が鮮明になればなるほど、独楽が当たると弾け散るような関係になっていった。
若き日のそんな2人の対立を虚子が回想してこんな句を詠んだのだろう。
碧梧桐の句で面白いのは、
曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ
なんか牛のよだれの湿っぽさと冷え冷えとした秋の空の様子、屠られる牛が屠場の方に曲がる辻道で歩くのを渋って、じっと大きな黒い眼で秋の空を見上げた様子が感覚的に伝わってくる素晴らしい写生句だ。
霧深し胸毛の濡るる朝の鹿
秋の鹿の胸の白いふさふさとした毛が朝の霧で濡れている。きっともう息は白いのだろう。
これも何かしら生への哀愁を伴った名句である。
空を挟む蟹死にをるや雲の峰
この句はやはり作りすぎとの見方もあるが、空を挟む様に瀕死の蟹が一あがきした時、その鋏の向こうに雲の峰が見えていた。
一点凝視から巨大な積乱雲へと視点が極端に拡大していく様子。ミクロからマクロへの視点の転換が見事である。
子規が評価した様に私も写生句における碧梧桐の鮮烈な感受性と表現力を評価したい。