まつたりおうぶライフ

三流の暮らしについての無為自然の話題、俳句等のブログです。

カテゴリ: 今日の一句

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残照に生くるを知りて暦の奏

御歴奏とは、養老律令雑令
造暦条に、暦博士が毎年予め来年の暦を作成して旧暦十一月一日に中務省に送り、同省はそれを天皇に奏聞すること。各官司に一本ずつ与えて年が終わる前に頒布することが定められており、これに基づいて行われる儀式である。改元の年の御歴奏は、新しい時代を占うものとして特に重視された。

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病棟に虎落笛鳴り脳血腫

今日は手術後退院してから2度目の診察。CTを撮影。やはり取り切れなかった血腫は、減る様子はない。そのまま様子見をみる以外にない。また、麻痺が起きて来たらすぐに連絡する様に言われた。

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見る影も亡き人想ふ夕月夜

今日は母の月命日。もう少しで母のところに逝ってしまうところだった。
来週、術後の検査がある。順調だと思うがもの忘れが酷くなった。

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水澄めり水面に映る弥陀の顔

 シルクロードの絵画にみられる炎肩仏は、肩から炎の様な三角形の突起が生じて描かれた仏達である。しかし、この突起がなんであるかについては、あきらかではない。果たして本当に炎なのかという点である。仏の持つ生命力・威力の象徴して炎が肩から立ち上がっている様に描かれているとの解釈で、仏の生命力にも通じるものであるとされている。この様なコンセプトは、平等院の阿弥陀如来像にも活かされていると言われている。それは、光背の蓮華から放射する光があたかも肩から伸び上がっている様に見える点であると言われた。(佛教大学 安藤佳香先生)阿弥陀如来は、「光の仏」であるが、この光は、果たして、炎なんだろうか。阿弥陀の光が蓮華の生命力が結晶して放散された光と認識することは辛うじて出来ても、炎肩仏の「炎」と同様に捉えることができるのだろうか。仏教芸術の中での炎の描写については、最近の展覧でも話題になっている青不動の背後に燃える「カルラ火」が代表的なものであり、このカルラ火と北野天神絵巻に描かれた六道めぐりの地獄の業火との描写技法の類似性について指摘されているが、「罪を焼き尽くす炎」としての捉え方であり、「仏の生命力」、「阿弥陀の救済の光」とは、別物ではないだろうか。信仰心を包み込む光と邪心を焼き尽くす炎。この違いを考えてみることが浄土教美術なんだと思います。そこに往生要集の思想が表現されている。弥陀の光背の光の閑かさはさながら棲んだ秋の水の様な気持ちにならせてくれる。

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  脳萎えて変わらぬものは月の影

 手術後二週間になるが、今頃になって足にしびれが出てきてまだまだ油断できない感じ。
 記憶も六割程度まで減ってしまった。それでも在宅で仕事は続けています。今月末にもう一度、CTを撮影して再発していなければ、ようやく安心出来るという。写真は、久しぶりに撮影した月面。口径四〇ミリの小型屈折望遠鏡で撮影。赤道儀で1分程度露出した動画から1000コマを抽出して重ねている。四〇ミリは思えないほど細かい模様まで撮影できる。