まつたりおうぶライフ

三流の暮らしについての無為自然の話題、俳句等のブログです。

今日の一句

邂逅

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邂逅の夢覚め果てて野分かな

寝坊しました。夢の中で寝坊を母親にしかられて目が覚めたが、実は、それはまだ眠っているんだ。

漱石の二百十日の文学碑

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寝不足の二百十日やはしやぐ声

けふよりは第二学期の始礼かな
漱石の二百十日の文学碑

阿蘇の震災で漱石の文学碑も被害を受けたが、小説が二百十日というのでいかにも相応しい感じだと思います。

フルトヴェングラー鳴りたる暮の春

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俳句界八月号の読者投句の雑詠で稲畑廣太朗先生の特選・首席をいただいた「フルトヴェングラー鳴りたる暮の春」の句、そんなに考えて作った句ではないが、フルトヴェングラーの指揮と演奏が暮春の長閑さに合ういうのが評価の理由だが、果たして季が動くのかという点が気になりました。フルトヴェングラーの演奏も多種多様。暮春の様な演奏もあれば、もっと晩秋の寂しさや、あるいは、シューベルトの冬の旅を思わせる風景の中で、残照が枯れ野原を照らしているようなブラーム交響曲第4番の二楽章演奏等もあり、一概には言えない。

フルトヴェングラーの指揮で暮春に合う曲となれば、限られてくる。ドイツの暮春「Frühlingsneige」であり、日本の暮春の様な気怠さはない。

ヘルマン・ヘッセの詩に次の一節がある。

栗の木の太陽を吸い込んだ影、
城壁に舞う黒い秋のチョウ、
飛び散る広場の噴泉のひびき。
酒樽匠の地下室へのアーチの入り口から漂ってくるワインの匂い。
故郷を失った男は、家郷にあることの、
友だちであることの複雑な魅力を、
街角ごとに、縁石ごとに、五感をあげてすすりこんだ。
ぶらぶらと疲れを知らず、小路を歩いて、
川ぶちで刃物の砥ぎ屋に耳をすまし、
仕事場の窓越しにロクロ細工師をながめ、
看板になじみぶかい家の古い名を読んだ。
彼は長いこと川べりにたたずみ、
流れる水の上に乗り出すように
木のらんかんにもたれた。
水中では黒い水草が長い髪のように揺れ、
魚の細い背が小石の上に動かずにいた。
古い板の橋を渡り、
少年時代にしたように、
小さい橋の微妙な弾力のある反動を感じてみた。

大人になる憧れを暮春の時期になぞらえて読んでいる。
少年から青年、青年から大人になる旅を予感させる。

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句では、「鳴りたる」と読んだのだから、ある程度のレコードが音響を伴って聞こえてくる筈。
ワーグナーの神々の黄昏の中で、「夜明けとジークフリートのラインへの旅」等がふさわしいか。
そこには一抹の不安も感じ取れる筈である。
但し、僕は、ラインの黄金は、フルトヴェングラーよりもクナッパーツブッシュ指揮のウィーンフィルの演奏を好んで聴いている。やはり、ステレオによる豊かな音響は捨てがたい。

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鉄道模型のこと

鉄道模型を先日、久しぶりに走行させました。
もうジオラマを組み立てて、5年になるのだろうか。
全然進展がないまま放置しているんだ。
昭和時代の風景かなあ。
地方にいくと単線がいまだたくさん残っており、楽しませてくれます。
吟行にいくとそういった楽しみがあります。

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なつかしき鉄道模型箱庭に


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 梅雨晴れや九頭竜川の橋長き

この鉄橋の高く長いこと。単線だから凄く迫力があります。


この闇に生きとし生きて蛍狩

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この闇に生きとし生きて蛍狩
ほうたるを掬い取ろうと白き腕
ライター情報

関西大学文学部国語国文学科卒、佛教大学大学院修士課程国文学専攻修了(通信課程)
国学及び近世文学及び書誌学を肥田皓三先生に学ぶ。
趣味は、音楽(ピアノ、ギター演奏) 天体観測(惑星等)神戸市在住。俳句結社童子

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